南呂院

南呂院(なんりょいん、生没年不詳)は戦国時代の女性。佐竹義昭の娘[1]宇都宮広綱に嫁いだ[1]宇都宮国綱結城朝勝の母。少将[2]。広綱の死後、南呂院と称した[3]

天正4年(1576年)あるいは同8年(1580年)、夫・広綱が死去した際、跡を継いだ国綱が幼かったため、兄・佐竹義重と共にこれを後見した[4]。この時期、家臣の壬生義雄皆川広勝の内乱が活発化した。

脚注

参考文献

  • 益子町史編さん委員会 編『益子町史』 第二巻《古代・中世史料編》、益子町、1985年3月31日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644393 (要登録)

外部リンク

  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus『南呂院』 - コトバンク