喜撰

曖昧さ回避 この項目では、人物について説明しています。茶の銘柄については「上喜撰」を、歌舞伎舞踊の演目については「六歌仙容彩」をご覧ください。
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喜撰法師(百人一首より)
歌舞伎舞踊の喜撰

喜撰(きせん、生没年不詳、伝不詳)は、平安時代初期の真言宗歌人六歌仙の1人。

伝承では山城国乙訓郡の生まれとされ、出家後に醍醐山へと入り、後に宇治山に隠棲しやがて仙人に変じたといわれる。下に掲げる二首の歌のみが伝えられ、詳しい伝記などは不明。なお「喜撰」の名は、紀貫之の変名という説もある。また桓武天皇の末裔とも、橘諸兄の孫で、橘奈良麻呂の子ともいわれる[1]。「古今和歌集仮名序」には、「ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。詠める歌、多くきこえねば、かれこれをかよはしてよく知らず」と評されている。

歌学書『倭歌作式』(一名『喜撰式』)の作者とも伝えられるが、今日では平安時代後期の偽書(仮託書)と見られている。また、『無名抄』によれば、宇治市の御室戸の奥に喜撰の住みかの跡があり、歌人必見であるという。今も喜撰洞という小さな洞窟が山腹に残る。

現在に伝わる詠歌は以下の二首のみ。

  • (小倉百人一首 8番) わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり(古今和歌集983。また百人一首)
  • 木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも(玉葉和歌集400。また孫姫式)

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脚注

  1. ^ 本朝高僧伝」巻七十四(城州宇治山喜撰傳)


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