国民中心党

国民中心党
各種表記
ハングル 국민중심당
漢字 國民中心黨
発音 クンミンチュンシムダン
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国民中心党(こくみんちゅうしんとう)は、忠清道を支持基盤とする自由民主連合の一部の議員と沈大平(シム・デピョン)忠清南道知事が中心となって2006年1月17日に創党された韓国中道政党

党の歴史

2006年1月17日創党。沈知事と辛国煥(シン・グックファン)国会議員を共同代表として擁立した。 国民中心党の政策は以下の通り(朝鮮日報2006年1月17日記事より)

[1]

そして沈知事は代表就任演説で「合理的な保守と穏健な進歩を全部受け入れて、妥協に基づいて分権型の政党を作る」と述べ、中道政党としての立場を示した。また辛議員は「揺れている国家アイデンティティーを確固たるものにして、過去史問題や政争から脱する」と述べた[2]

大統領選挙におけるキャスティング・ボートを握る忠清道を代表する中心党のこれからを占う試金石として注目された2006年5月31日の地方選挙では、広域自治体議員選挙の比例代表部分における得票率は2.9%[3]と振るわず、沈代表以下の幹部が辞任する結果となった[4]

2007年12月に行なわれた大統領選挙では、沈前代表を候補者として擁立したが、選挙運動期間中の12月3日に、無所属で立候補した保守系の李会昌(イ・フェチャン)との一本化に合意し、立候補を辞退することになった[5]。選挙後に李会昌が結成する新党に合流する意思を明らかにした[6]

2008年2月12日に国民中心党は、同月1日に李会昌が創党した自由先進党と合併し、2年余りの党の歴史に幕を閉じた。

年表

  • 2006年
    • 1月17日:国民中心党、創党。
    • 5月31日:第4回地方選挙、基礎団体長7名と広域団体議員15名、基礎団体議員67名が当選。
    • 6月2日:沈大平共同代表、地方選挙における選挙結果の責任をとって辞任を表明。辛国煥共同代表のみの単独体制で運営。
  • 2007年
    • 4月25日:再補選、沈大平前代表が国会議員に当選。
    • 12月5日:沈大平大統領候補、立候補辞退。李会昌を支援。
  • 2008年
    • 2月12日:自由先進党と合併。

脚注

  1. ^ 新党「国民中心党」公式発足へ 朝鮮日報2006年1月17日
  2. ^ 「国民中心党」結党、大統領選のキャスティングボートに?朝鮮日報 2006年1月18日
  3. ^ 【地方選】新記録! ハンナラ党の政党支持率54%朝鮮日報 2006年6月1日
  4. ^ 国民中心党の沈大平代表が辞任朝鮮日報 2006年6月3日
  5. ^ 大統領選:三つの勢力に再編か(上)朝鮮日報 2007年12月4日
  6. ^ 大統領選:李会昌氏「来年初めごろ新党結成する」朝鮮日報 2007年12月10日

関連項目

大韓民国国旗 過去に存在した韓国の政党(現存する政党も含む)
第一共和国
李承晩政権)
与党

大韓国民党 → 自由党

野党

保守):韓国民主党 → 民主国民党 → 民主党、韓国独立党民族自主聯盟
(進歩):進歩党
群小政党:統一党

第二共和国
張勉政権)
与党

民主党

野党

(保守):新民党、自由党、韓国独立党
(進歩):社会大衆党、韓国社会党

第三共和国・
第四共和国
朴正煕政権)
与党

民主共和党

野党
  • 民政党
  • 民主党 → 民衆党 → 新民党
群小
政党
第五共和国
全斗煥政権)
与党
第1野党
その他野党

(保守):民主韓国党韓国国民党
(進歩):民主社会党、社会民主党

第六共和国
盧泰愚政権
与党
第1野党

平和民主党・民主党(1990-1991) → 民主党(1991-1995)

その他野党
金泳三政権
与党

民主自由党 → 新韓国党ハンナラ党

第1野党

民主党 (韓国 1991-1995) → 新政治国民会議

その他野党
金大中政権
与党
第1野党

ハンナラ党

その他野党
盧武鉉政権
与党
第1野党

ハンナラ党

その他野党
李明博政権
与党

ハンナラ党 → セヌリ党

第1野党

民主党 → 民主統合党

その他野党
朴槿恵政権
与党

セヌリ党 → 自由韓国党

第1野党

民主統合党 → 民主党 → 共に民主党

その他野党
文在寅政権
与党
第1野党
その他野党
尹錫悦政権
与党
第1野党
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