宗 盛明 (そう もりあきら)は、鎌倉時代の武将。宗助国の長男である。対馬国の地頭代。文永11年(1274年)の文永の役で戦死した父の跡をつぐ。盛明は大宰府に出仕しており難を逃れた。弘安の役で再度来襲した蒙古軍とたたかった。通称は右馬太郎[1]。
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