小橋藻三衛

小橋 藻三衛(藻三衞、こばし もざえ、1867年1月26日(慶応2年12月21日[1][2])- 1947年昭和22年)1月22日[1][2][3])は、明治から昭和前期の政治家、教育者、実業家衆議院議員。号・鵠浦[4]。政治活動に全財産を用いた「井戸塀政治家」として知られた[2]。実子がなかったため弟・広衛が家督を継承した[1]

経歴

備前国邑久郡久々井村(岡山県[3]邑久郡朝日村久々井[1][2][5]西大寺市を経て現岡山市東区久々井)で、大庄屋[2][4]・小橋市十郎[4]の長男として生まれる[1][2]西毅一の原泉学舎で学び[1][3]、1886年(明治19年)県立岡山学校師範科を卒業[1][3]。邑久郡、和気郡内の小学校教師となり、1895年(明治28年)に退職した[1]

1896年(明治29年)岡山県会議員に選出され[2]、以後、連続5期19年間在任し、同参事会員、同議長も務めた[1][2][3]。この間、犬養毅を支えて「備中犬飼東備の小橋」と称された[1]

1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙で岡山県郡部から立憲国民党公認で出馬して初当選[1][2][3]。以後、第15回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続4期在任した[1][2][3]。この間、雄弁家として知られ犬養の片腕として活動した[1][2]。代議士退任後、再び政界には復帰しなかった[1]

また、県会議員在任中から第七十銀行監査役、笠岡紡績監査役、東讃電気軌道監査役、岡山水電取締役、岡山県蚕糸同業組合長、同畜産会長、同運送同業組合長、同織物同業連合組合長、邑久・上道織物同業組合長、邑久郡産牛馬組合長などを務め、地域の産業の振興に尽力した[1][3][4][5]

著作

  • 『小学作文虚字用法』細謹舎、1891年。
  • 『生徒用作文書 : 尋常科第二年』細謹舎、1892年。
  • 『小学校用普通挨拶』普及舎、1895年。
  • 『伊部陶史』大阪鵠浦会事務所、1918年。

親族

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『岡山県歴史人物事典』437頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『岡山県大百科事典 上』1030頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』243-244頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第6版』こ21頁。
  5. ^ a b 『新代議士名鑑』353頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 『岡山県大百科事典 上』山陽新聞社、1980年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。


日本の旗 衆議院決算委員長
帝国議会
国会
官選
県会議長
公選
県議会議長
  • 友保知
  • 小野泰次郎
  • 生末近夫
  • 松田壮三郎
  • 蜂谷初四郎
  • 友保知
  • 浅越和夫
  • 菅野幸嘉
  • 井本稔
  • 大山茂樹
  • 山田保
  • 蜂谷初四郎
  • 天野与市
  • 中田弘堂
  • 杉本昌太
  • 渡辺数馬
  • 桑田真太郎
  • 丸本市松
  • 天野与市
  • 大本満福
  • 伊藤大孝
  • 宮原義久
  • 同前才治
  • 岡崎若松
  • 南田忠人
  • 平松幹章
  • 芦田卓三
  • 熊本強
  • 中嶋弘
  • 岩崎茂
  • 元浜貫一
  • 原寿男
  • 寺岡良忠
  • 門木和郎
  • 山本保
  • 鳥越浩
  • 山田俊夫
  • 横山昌夫
  • 松尾昌泰
  • 蜂谷勝司
  • 有可洋典
  • 熊本睦夫
  • 小林毅
  • 高宮明
  • 高橋幸定
  • 肥田璋三郎
  • 大杉尚久
  • 加藤秀明
  • 古市健三
  • 栗山好幸
  • 井手紘一郎
  • 森正人
  • 桑山博之
  • 戸室敦雄
  • 千田博通
  • 小枝英勲
  • 三村峰夫
  • 天野学
  • 古山泰生
  • 小田春人
  • 岡﨑豊
  • 河本勉
  • 内山登
  • 渡辺英気
  • 小田圭一
  • 小野泰弘
  • 井元乾一郎
  • 伊藤文夫
  • 高橋戒隆
  • 蓮岡靖之
  • 波多洋治
  • 神宝謙一
  • 加藤浩久
  • 小倉弘行
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • ドイツ
  • 日本