星野龍史

星野 龍史
(ほしの りゅうし)
生誕 (1967-11-27) 1967年11月27日
群馬県勢多郡黒保根村
死没 2001年10月14日(2001-10-14)(33歳没)
ネパールダウラギリI峰
死因 行方不明
国籍 日本の旗 日本
出身校 北関東造形美術専門学校
著名な実績 8000メートル峰5座登頂
受賞

群馬県勤労者美術展入選(1986,1987)

朝日スポーツ賞(1994)
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星野 龍史(ほしの りゅうし、1967年11月27日 - 2001年10月14日)は、日本の登山家

概要

1967年11月27日、群馬県勢多郡黒保根村に生まれる。群馬ミヤマ山岳会に所属、数多くの海外遠征に参加し、8000m峰5座に登頂した。

幼少より絵画が得意で「電気を安全に使いましょうポスター群馬児童作品展」「読書鑑賞画展」などに入賞した。1982年群馬県立桐生工業高等学校入学、山岳部に所属。1986年北関東造形美術専門学校入学後、群馬県ミヤマ山岳会入会。在学中に群馬県勤労者美術展に2年連続入選を果たす。

1990年より、キリマンジャロ、カンチェンジュンガ、サガルマータ西壁、チョー・オユー、サガルマータ南西壁、ウルタルⅡ峰、ガッシャーブルムI峰、ガッシャーブルムII峰、シシャパンマと、海外登山に参加、この間に山のスケッチを続ける。

2001年10月、群馬ミヤマ山岳会ダウラギリI峰登山隊として、北東稜から名塚秀二、東稜から星野龍史、品川幸彦、福本誠志の3名がアタック。北東稜の名塚秀二は10月11日に登頂したが、東稜からアタックしていた3名は10月14日から消息が途絶え、行方不明となる。10月24日に群馬ミヤマ山岳会代表宮崎勉らが現地入りし、ヘリコプターによる捜索を行ったが、3人の生存は絶望的として捜索は打ち切られた。遭難の原因は雪崩か滑落とみられている。星野龍史は3月に結婚したばかりで、山行中に発覚した妻の妊娠を知らされていなかった。ダウラギリ山麓のジョムソンに3名の追悼のために慰霊碑が建てられている。

スポニチ登山学校講師。

経歴

  • 1967年11月27日 - 群馬県勢多郡黒保根村に生まれる。
  • 1986年3月 - 群馬県立桐生工業高等学校卒業。
  • 1986年4月 - 北関東造形美術専門学校入学。
  • 1986年 - 群馬ミヤマ山岳会入会。
  • 1986年 - 作品「19才の想い」が群馬県勤労者美術展に入選。
  • 1987年 - 作品「精神革命」で群馬県勤労者美術展に連続入選。
  • 1988年3月 - 北関東造形美術専門学校卒業。
  • 1993年10月8日 - チョ・オユー(8501m/チベット)登頂。(群馬県山岳連盟隊:八木原圀明宮崎勉名塚秀二田辺治江塚進介佐藤光由、星野龍史、後藤文明尾形好雄)[1]
  • 1993年12月22日 - エベレスト[南西壁](8848m/ネパール)登頂。冬季南西壁世界初(群馬県冬期サガルマータ南西壁登山隊1993-1994:田辺治、名塚秀二、江塚進介、星野龍史、後藤文明.尾形好雄)[2][3]。日本人最年少記録更新(24歳)。この功績により登山隊には朝日スポーツ賞が贈られた。
  • 1996年7月31日 - ウルタルII峰(7388m/パキスタン)登頂。(カトマンズ・クラブ隊1996:高橋堅、安藤昌之、斎藤渉、堤 信夫、星野龍史)[4]
  • 1997年7月7日 - ガッシャーブルムI峰(8068m/パキスタン)登頂。(群馬県カラコルム登山隊1997:名塚秀二、江塚進介、星野龍史、品川幸彦、宮崎勉)[5][6]
  • 1997年7月14日 - ガッシャーブルムII峰(8035m/パキスタン)登頂。(群馬県カラコルム登山隊1997:後藤文明、尾形好雄、綿貫剛、田島崇行、名塚秀二、宮崎勉、馬場保男、岩崎栄、江塚進介、星野龍史、品川幸彦)[7]
  • 1999年10月29日 - シシャパンマ(8027m/チベット)登頂。(群馬県冬季マナスル登山隊2000:星野龍史、名塚秀二、後藤文明、剣持典之、福本誠志)
  • 2001年10月14日 - ダウラギリI峰[東壁](8、167m/ネパール)登山中、星野龍史、品川幸彦、福本誠志の3名が行方不明となる。

関連書籍

  • 桐生工業高校山岳部OB星野龍氏作品集を出版する会編『星野龍史作品集エチュード聖地巡礼』(2004/6、星野なみ子・恵子)

脚注

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  1. ^ 八木原圀明. “群馬県山岳連盟「嶺呂」第49号 1993/10/29”. 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月20日閲覧。
  2. ^ 日本山岳会. “群馬県冬期サガルマータ南西壁登山隊1993-1994”. 2013年10月20日閲覧。
  3. ^ 国際的に認められる冬季登頂は、冬至から春分まで。さらにサミットプッシュの全行程がその期間内に行われる場合に限るので、その基準だと冬季登頂(登攀)にならず、晩秋の登頂になる。 例えばWinter Climbing | The Bitter Cold and Wind, History, The Calendar Winter and More (Part-2/2) : ExplorersWebを参照。
  4. ^ 文部省登山研修所. “「登山研修 Vol.12」”. 2015年5月1日閲覧。
  5. ^ 日本山岳会. “群馬県カラコルム登山隊1997「ガッシャーブルムI峰」”. 2013年10月20日閲覧。
  6. ^ 群馬山岳連盟. “山岳ぐんま第1号1998/3/11」”. 2013年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月20日閲覧。
  7. ^ 日本山岳会. “群馬県カラコルム登山隊1997「ガッシャーブルムII峰」”. 2013年10月20日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、星野龍史に関連するカテゴリがあります。
  • 星野龍史作品集聖地巡礼 - ウェイバックマシン(2006年12月21日アーカイブ分)
  • 銀座一丁目新聞2001/11/1号No.160追悼録75
  • 銀座一丁目新聞2001/12/20号No.165追悼録80
  • 安曇野ペンションラリーグランス/ムクチナートレック
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