登山家一覧

登山家一覧(とざんかいちらん)は、著名な登山家の一覧。ロッククライマーも含む。

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日本以外

1700年までの生まれ

  • アイスマン(BC3000年頃) アルプスの標高3210m以上に登る。
  • エンペドクレス(BC490-BC430) エトナ山に身を投げたと伝えられる。
  • ハンニバル(BC247-BC183) 「アルプス越え」 標高2950mのトラヴェルセッテ峠を越える(異説あり)が兵の半分を失う。
  • ハドリアヌス(76-138) 朝日を見るためにエトナ山に登ったと伝えられる。
  • 法顕(337-422) 崑崙山脈、天山山脈、パミール、ヒンドゥークシュ、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈を越える。
  • 玄奘(602-664) 西遊記のモデル。南アジアと中央アジアの多くの山脈を訪れる。
  • ペドロ3世(1239-1285) カニグー山初登頂。
  • ペトラルカ(1304-1374) 楽しむために山に登った初めての人物といわれる。モン・ヴァントゥ(1912m)に登頂。
  • ロタリオ 1358年にロッチャメロネ(英語版)(3538m)初登頂。山頂に聖母像を捧げる。
  • アントワーヌ・ド・ウィル(1450-1504、フランス) 王の命令でモン・テギーユ(英語版)初登頂。世界初のアルパインクライミングとも。
  • ラ・ドンセーヤ(1500年頃) ユーヤイヤコ(6723m)山頂に生贄として捧げられた。
  • コンラート・ゲスナー(1516–1565、スイス) ピラトゥス山に登る。

1701-1880年生まれ

1881-1910年生まれ

  • エドワード・ノートン(1884-1954、イギリス) 1924年のエベレスト遠征隊長。人類の最高到達高度の記録を作る。
  • ハンス・フィートヒル(1884–1925、ドイツ) 1910年に現代的なデザインのハーケンを発明した。1913年にオットー・ヘルツォークとシュッセルカールスピッツェ(英語版)南壁初登攀(V+)。
  • パウル・プロイス(1886–1913、オーストリア) 人工登攀が普及する中でフリークライミングを強く主張し、実践したが若くして墜落死。
  • ジョージ・マロリー(1886-1924、イギリス) 1921年1922年1924年エベレスト遠征隊に参加。エベレストで消息を絶つ。
  • オットー・ヘルツォーク(1888–1964、ドイツ) 1910年にカラビナを導入した。VI級登攀の先駆者。
  • ジョージ・フィンチ(1888-1970、オーストラリア) 1922年のエベレスト遠征で8321mまで到達。
  • ノエル・オデール(1890-1987、イギリス) 1924年エベレスト遠征隊のメンバー。ナンダ・デヴィ初登頂。
  • ハンス・デュルファー(1892–1915、ドイツ) ドュルファージッツと呼ばれる懸垂下降法を開発。第一次世界大戦で死去。
  • ビル・ティルマン(1898–1977、イギリス) エベレスト遠征を率いる。ナンダ・デヴィ初登頂。
  • ジョン・サラテ(1899-1993、アメリカ) ヨセミテの開拓者。鋼鉄製のハーケンを導入。
  • ヴィロ・ヴェルツェンバッハ(1900–1934、ドイツ) 何百もの登攀をこなして1923年にI-VIの技術グレードを考案した。1924年に世界で初めてアイスハーケンを使用。ナンガ・パルバットで遭難死。
  • フランク・スマイス(1900–1949、イギリス) 1933年のエベレスト遠征で無酸素で8570mまで到達。カメット(英語版)初登頂。
  • エミリオ・コミチ(1901-1940、イタリア) アルプスでディレッティシマ(直登)ルートを切り開く。チマ・グランデ北壁初登攀。
  • アンドリュー・アーヴィン(1902-1924、イギリス) エベレスト初登頂を目指すが、ジョージ・マロリーと共に消息を絶つ。
  • ヴィタリー・アバラコフ(1906–1986、ロシア) ポベーダ山初登頂。登山用カムを発明。アバラコフ・スレッドを考案。
  • アンデルル・ヘックマイアー(1906-2005、オーストリア) アイガー北壁世界初登頂の一人。
  • エリック・シプトン(1907-1977、イギリス) エベレスト遠征隊を数度率いる。カメット(英語版)初登頂
  • リカルド・カシン(1909-2009、イタリア) グランドジョラス北壁初登頂。
  • フリッツ・カスパレク(1910-1954、オーストリア) アイガー北壁初登頂。

1911-1930年生まれ

1931-1950年生まれ

  • クルト・ディムベルガー(1932-、オーストリア) ブロード・ピーク初登頂(1957年)、ダウラギリ初登頂(1960年)
  • ドン・ウィランス(1933–1985、イギリス) アンナプルナ南壁初登頂。
  • クリス・ボニントン(1934-、イギリス) エベレスト遠征のエキスパート。遠征隊長としてエベレスト南西壁初登頂、アンナプルナ南壁初登頂を成功させた。
  • ジョン・ハーリン(1935-1966、アメリカ) 1966年アイガー北壁直登のパーティーに参加するも高度1300m地点から墜落死。パーティーは世界で初めて直登を達成し、このルートには「ジョン・ハーリン・ルート」と彼の名前が記された。
  • ロイヤル・ロビンス(1935-2017、アメリカ) ヨセミテの開拓者。クリーン・クライミングを推進。
  • イヴォン・シュイナード(1938-、アメリカ) ヨセミテの開拓者。鍛冶屋としてハーケンやナッツ、ピッケル、アイゼンを改良。アウトドア用品メーカーのパタゴニアとブラック・ダイヤモンドを創業。
  • トム・フロスト(1938-2018、アメリカ) ヨセミテの開拓者。イヴォン・シュイナードと共にクリーン・クライミングを推進し、ギアを改良した。
  • ドゥーガル・ハストン(1940–1977、イギリス) エベレスト南西壁初登頂、アンナプルナ南壁初登頂。スイスでスキーをしているときに雪崩に巻き込まれ死去。
  • ダグ・スコット(1941-2020、イギリス) 1975年、エベレスト南西壁初登頂。英国山岳会会長。
  • ヤニック・セニュール(1941-2001、フランス)
  • ペーター・ハーベラー(1942-、オーストリア) 1978年、ラインホルト・メスナーと共にエベレスト無酸素登頂。
  • ワンダ・ルトキェヴィッチ(1943–1992、ポーランド) 無酸素でK2女性初登頂、アンナプルナ南壁女性初登頂。女性初の14座完登を目指すがカンチェンジュンガで遭難死。
  • ラインホルト・メスナー(1944-、イタリア) 世界でもっとも有名な登山家の一人。エベレストに史上初の無酸素登頂、単独登頂。世界で初めて8000m峰14座制覇。
  • ヴォイテク・クルティカ(1947-、ポーランド) アルパインスタイルによる高山登頂のパイオニア。
  • イェジ・ククチカ(1948-1989、ポーランド) 8000m峰14座制覇(世界2番目)。そのほとんどに新ルート、冬季、アルパインスタイル、単独のいずれかを絡める。ローツェ南壁で遭難死。
  • ジョー・タスカー(1948–1982、イギリス) カンチェンジュンガ北稜初登頂、コングール山初登頂。エベレスト北東稜で遭難死。
  • ジャン・トロワイエ(1948-、スイス) エベレスト北壁40時間登頂、チョ・オユー南壁初登頂など。
  • アン・リタ(1948-2020、ネパール) エベレストに10回登頂、全て無酸素。
  • セルジオ・マルティーニ(1949-、イタリア) 8000m峰14座制覇(世界7番目)
  • クシストフ・ヴィエリツキ(1950-、ポーランド) エベレスト冬季初登頂。8000m峰14座制覇(世界5番目)。
  • ピーター・ボードマン(1950–1982、イギリス) エベレスト南西壁初登頂(第二次隊)、カンチェンジュンガ北稜初登頂。エベレスト北東稜で遭難死。

1951-1960年生まれ

  • ピエール・ベジャン(1951–1992、フランス) K2北西稜初登頂。カンチェンジュンガ単独初登頂。アンナプルナ南壁で遭難死。
  • ラッセル・ブライス(1952-、ニュージーランド) 『エベレスト・ビヨンド・ザ・リミット』等で知られる登山家。現在は山岳ガイド会社「ヒマラヤン・エクスペリエンス」代表。顧客に迎合し大量遭難を招いた商業主義登山からの脱却を図り、徹底した安全管理と環境負荷の低減等公募登山の改革を推し進めた。
  • アラン・ヒンクス(1954-、イギリス) 8000m峰14座制覇を主張。
  • フアニート・オヤルサバル(1956-、スペイン) 8000m峰14座制覇(世界6番目)
  • ハンス・カマランダー(1956-、イタリア) エベレスト、K2、ナンガ・パルバットでのスキー滑降。8000m峰13座登頂。
  • アンドレイ・シュトレムフェリ(1956–、スロベニア) エベレスト西稜ダイレクト初登、カンチェンジュンガのアルパインスタイル新ルートなど
  • ミック・ファウラー(1956-、イギリス) 公務員の仕事を続けながら数々のアルパインスタイルによる登攀を行った。
  • アナトリ・ブクレーエフ(1958-1997、ロシア) 1989年カンチェンジュンガの4つのピークを初縦走。
  • マーク・イングリス(1959-、ニュージーランド) 両足義足でエベレストに登頂。
  • トモ・チェセン(1959-、スロベニア) ローツェ南壁初登頂を主張。
  • エド・ベスターズ(1959-、アメリカ) 8000m峰14座制覇(世界12番目)、俳優として映画『バーティカル・リミット』などにも出演。
  • エアハルト・ロレタン(1959-2011、スイス) エベレスト北壁をアルパインスタイルで40時間のスピード登攀。8000m峰14座制覇(世界3番目)。
  • 厳弘吉(1960-、オム・ホンギル)(韓国) 8000m峰14座制覇(世界9番目)
  • カトリーヌ・デスティヴェル(1960-、フランス) 女性初のアルプス三大北壁単独登攀(冬季)、トランゴ・タワー女性初登攀など。

1961-1970年生まれ

  • リン・ヒル(1961-、アメリカ) ヨセミテ、エル・キャピタンのノーズ・ルートでのフリー初登頂。
  • クリストフ・プロフィ(1961–、フランス) K2北西稜初登頂。
  • ロブ・ホール(1961-1996、ニュージーランド) 7ヶ月で7大陸最高峰登頂。初期の商業公募隊を率いる。1996年のエベレスト大量遭難で死亡。
  • コンラッド・アンカー(1962-、アメリカ) アメリカで最も高名な登山家の一人。長らく謎に包まれていたジョージ・マロリーの遺体を発見。
  • カルロス・カルソリオ(1962-、メキシコ) 8000m峰14座制覇(世界4番目)
  • アリソン・ハーグリーブス(1962-1995、イギリス) 女性として初めてエベレストに無酸素、無支援で登頂。K2の無酸素登頂後に遭難死。
  • 朴英碩(1963-2011、パク・ヨンソク)(韓国) 世界初のアドヴェンチャー・グランド・スラム(8000m峰14座、七大陸最高峰、両極点)達成。
  • マリオ・パンツェーリ(1964-、イタリア) エベレスト3回を含む完全無酸素8000m峰14座制覇。
  • マルコ・プレゼリ(1965–、スロベニア) カンチェンジュンガのアルパインスタイル新ルートなど
  • ジャン=クリストフ・ラファイユ(1965–2006、フランス) アンナプルナ南壁で初めてヒマラヤを経験。パートナーのピエール・ベジャンを失い、生死をさまようが単独で脱出。その後、単独で多くの8000m峰を登頂。アンナプルナに取り付かれ何度も挑み、3度目の挑戦で1人のチームメイトを雪崩で失うが、4度目の挑戦で長大な東稜から登頂を果たした。12月11日にシシャパンマ南西壁を単独登頂したが、冬季初登頂とは認められず論争となった。その翌年、雪辱を果たすため単独でマカルー冬季初登頂に挑むが遭難死。
  • 呉銀善(1966-、オ・ウンソン)(韓国) 女性初の8000メートル峰14座制覇を主張。
  • クリスティアン・シュタングル(1966-、オーストリア) 七大陸最高峰のスピード登頂、トリプル・セブンサミット(各大陸3位までの標高の山の全登頂)に挑戦。カンチェンジュンガの海抜0mからの人力登頂
  • トーマス・フーバー(1966–、ドイツ) ヨセミテのフリー初登、トランゴ・タワーのエターナルフレーム(5.13a)をフリー化など
  • 韓王龍(ハン・ワンヨン)(1966-、韓国) 8000m峰14座制覇(世界11番目)
  • シモーネ・モーロ(1967–、イタリア) 4つの8000m峰を冬季初登頂。ヘリコプターパイロットとして山岳救助を行う。
  • アルベルト・イニュラテギ(1968-、スペイン) 8000m峰14座制覇(世界10番目)
  • ヴェイッカ・グスタフッソン(1968-、フィンランド) 8000m峰14座制覇(世界17番目)
  • アレックス・フーバー(1968–、ドイツ) ヨセミテのフリー初登、トランゴ・タワーのエターナルフレーム(5.13a)をフリー化など
  • トマジ・フマル(1969–2009、スロベニア) ダウラギリ南壁を単独で登る。ランタン・リルンで遭難死。
  • ゲルリンデ・カルテンブルンナー(1970-、オーストリア) 女性として初めて8000m峰14座制覇の無酸素登頂に成功(2011年)
  • スティーブ・ハウス(1970–、アメリカ) ナンガ・パルバット、ルパール壁のアルパインスタイル新ルートなど

1971年以降生まれ

日本

1800年までの生まれ

1801-1900年生まれ

幕末から大正にかけて日本の山を登ったことで知られる外国人も含める。

1901-1920年生まれ

1921-1940年生まれ

1941-1950年生まれ

1951-1960年生まれ

  • 禿博信 (1951-1983) ダウラギリ1峰をシェルパレス・ワンプッシュで登頂。エベレストのノーマル・ルートでの無酸素登頂直後に墜死。
  • 尾崎隆 (1952-2011) 日本山岳会。エベレスト北壁ダイレクトルート初登。カカボラジ初登頂。エベレスト南東稜で遭難死。
  • 笠松美和子 (1952-1993) グランドジョラス北壁ウォーカー稜を、山野井妙子(旧姓・長尾)と冬季登攀(女性初)。宝剣岳で遭難死。
  • 矢野利明 京都洛中勤労者山岳会、エベレスト登頂。K2に2度登頂に失敗するが、3度目で登頂成功。富士山の冬山登山で墜死。
  • 長岡健一 (1954-) ゼネラル・マウンテンガイド・アカデミー代表 UIAGM国際山岳ガイド,映画「ホワイトアウト」「クライマーズハイ」など撮影協力
  • 松田宏也 (1955-) 市川山岳会。ミニヤコンカで遭難するも、19日後に生還。著書「ミニヤコンカ奇跡の生還」「足よ手よ、僕はまた登る」。
  • 木本哲 (1956-) エンゼルフォール未踏ルート初登攀。
  • 名塚秀二 (1956-2004) 8000m峰9座登頂。エベレスト南西壁登頂、K2北西壁登頂。アンナプルナで雪崩に巻き込まれ死亡。
  • 三谷統一郎 (1956-) カトマンズ・クラブ、高松勤労者山の会。8000m峰6座登頂。ナムチャバルワ初登頂、カンチェンジュンガ三山縦走。
  • 村口徳行 (1956-) 山岳カメラマン。エベレスト登頂7回の日本記録保持者。著書「エベレスト登頂請負い業」ほか。
  • 山野井妙子 (1956-) グランドジョラス北壁ウォーカー稜を、笠松美和子と冬季登攀(女性初)。夫とともにギャチュン・カンから奇跡的に生還。
  • 三枝照雄 (1958-1989) 山田昇とともに冬のデナリ(マッキンリー)で遭難。

1961-1970年生まれ

  • 江塚進介 (1961-) エベレスト南西壁登頂。8000メートル峰5座登頂。
  • 倉岡裕之 (1961-) エベレスト6回登頂。エンゼルフォール未踏ルート初登攀。山岳ガイドステージ2。
  • 田辺治 (1961-2010) 8000m峰9座登頂。エベレスト南西壁冬季初登頂、ローツェ南壁冬季初登攀。ダウラギリで遭難死。
  • 戸高雅史 (1961-) 8000m峰のうち5峰を無酸素登頂。K2登頂(個人隊)。ブロードピーク三山縦走。
  • 北村俊之 (1962-) ブロードピーク三山縦走。8000メートル峰6座登頂。国際山岳ガイド。
  • 小西浩文 (1962-) 8000m峰のうち6峰を無酸素登頂。
  • 近藤謙司 (1962-) 国際山岳ガイド。チョ・オユーで女性最高齢記録となる登頂者を導く。
  • 成瀬陽一(1962-)沢登り家。台湾の豊坪渓初遡行。著作『俺は沢ヤだ!』
  • 山本篤 (1962-) 8000m峰7座に延べ8度登頂。7000m峰未踏峰2座に初登頂。K2登山隊隊長として史上初の二桁人数登頂成功に導く。山岳ガイドステージ2。
  • 角谷道弘 (1963-) 国際山岳ガイド。リャンカンカンリ初登頂、日本テレビ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!! マッターホルン登頂部』、『世界の果てまでイッテQ!』コーチ等。
  • 篠崎純一 山崎彰人と共に雪蓮南峰に初登頂。環太平洋一周環境登山。
  • 後藤文明 (1965-) エベレスト南西壁登頂。8000メートル峰6座登頂。
  • 志水哲也 (1965-) 山岳ガイド。写真家。
  • 山野井泰史 (1965-) チョ・オユー南西壁単独初登など、多数のソロクライミング記録をもつ。ギャチュン・カンで遭難するも奇跡的に生還。著書「垂直の記憶」。
  • 遠藤由加 (1966-) 日本人女性として初めて8,000m峰無酸素登頂。チョ・オユー南西壁登頂。
  • 谷川太郎 (1967-) 東京農業大学山岳部、8000m峰8座登頂。マカルー東稜初登頂。
  • 星野龍史 (1967-2001) エベレスト南西壁登頂。ウルタルII峰第二登。8000メートル峰5座登頂。ダウラギリで遭難死。
  • 山崎彰人 (1967-1996) 数々の7000m級未踏峰に初登頂、ウルタル2峰初登頂直後に死亡。
  • 田中正人 (1967-) プロアドベンチャーレーサー。
  • 服部文祥 (1969-) サバイバル登山家。旧姓、村田文祥。
  • 馬目弘仁 (1969-) 信州大学山岳会、松本CMC、鱶鰭同人。キャシャール峰南リッジ初登攀でピオレドール賞受賞。山岳ガイドステージ1。
  • 平山ユージ (1969-) フリー・クライマー。

1971年以降生まれ

  • 竹内洋岳 (1971-) 日本人初となる8000m峰全14座へ登頂し、そのうち11座が無酸素登頂。名塚秀二と山田昇の記録を更新した。
  • 小川さゆり (1971-) 山岳ガイド。2014年の御嶽山噴火に山頂直下で被災したが、生還した。
  • 栗秋正寿 (1972-) マッキンリーの冬季単独登頂および帰還に、日本人で初めて成功。
  • 谷口けい (1972-2015) カメット南東壁登攀で日本人女性としてピオレドール初受賞。黒岳で遭難死。
  • 松岡清司 (1972-1997) 山崎彰人と共にスーパーアルパインスタイルでウルタル2峰を登頂。レディースフィンガーで落石を受け死去。
  • 岡田康 (1973-) アルパインクライミングの第一人者。ローガン南東壁初登攀でピオレドール賞受賞。カンテンポチェ新ルートなど。山岳ガイドステージ2。
  • 野口健 (1973-) 七大陸最高峰の最年少登頂記録を更新(当時)。清掃登山を励行。
  • 高橋和弘 (1974-) リャンカンカンリ初登頂。8000メートル峰6座登頂。
  • 江本悠滋 (1976-) 国際山岳ガイド。
  • 加藤慶信 (1976-2008) 8000m峰8座に延べ11回登頂。エベレスト山頂に無酸素で到達(帰路酸素使用)。クーラカンリで遭難死。
  • 小山田大 (1976-) フリー・クライマー。
  • 花谷泰広 (1976-) 「キャシャール峰初登攀」でピオレドール賞受賞。山岳ガイドステージ2。甲斐駒ヶ岳七丈小屋の管理。
  • 天野和明 (1977-) GIRI GIRI BOYS。インドヒマラヤ「カランカ北壁初登攀」でピオレドール受賞。国際山岳ガイド。
  • 一村文隆 (1977-2018) GIRI GIRI BOYS。インドヒマラヤ「カランカ北壁初登攀」でピオレドール受賞。チャムラン(英語版)で遭難死。
  • 佐藤裕介 (1979-) GIRI GIRI BOYS。「カランカ北壁初登攀」でピオレドール受賞。城ヶ崎・マーズ第2登。
  • 平出和也 (1979-) カメット南東壁登攀でピオレドール受賞。
  • 横山勝丘 (1979-) アルパインクライミングの第一人者。通称ジャンボ。GIRI GIRI BOYS。ローガン南東壁初登攀でピオレドール受賞。体臭のカーニバルなど。
  • 小松由佳 (1982-) 日本人女性として初のK2登頂。
  • 田中陽希 (1983-) プロアドベンチャーレーサー。
  • 青木達哉 (1984-) K2世界最年少登頂。インドヒマラヤ「キャシャール峰初登攀」でピオレドール受賞。
  • 中島健郎 (1984-) 関西学院大学山岳部出身。シスパーレ北東壁初登攀、第17回ピオレドールアジア賞受賞、第26回ピオレドール賞受賞、8000メートル峰3座登頂。
  • 長澤奏喜 (1984-) 「ラグビー登山家」を自称し、ラグビーワールドカップに出場した25か国の国・地域の最高峰に登頂及びラグビーボールをトライ。

生年不明

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “訃報:南博人さん84歳=登山家 「神々の岩壁」のモデル - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20160624/k00/00m/040/081000c 2018年4月10日閲覧。 
全般
方法
山岳
項目
装備・道具
トレッキング
  • ストック
  • スパッツ
雪山
クライミング
ロック
アイス
沢登り
下山
人物
乗り物
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