村島喜代
村島 喜代(むらしま きよ、1892年10月6日[1] – 1982年3月11日[2][3])は日本の女性政治家。衆議院議員(1期)。
来歴
新潟県出身[2]。1911年新潟県立長岡女子師範学校(現・新潟大学)卒。津田女子英学塾に学ぶ[2][3]。その後新潟に戻り、新潟県立高等女学校家庭寮寮監などを務める[2]。
戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙に新潟県1区(大選挙区制)から日本進歩党公認で立候補して2位で当選した[4]。在職中は進歩党婦人部長を務めた[2]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙で民主党公認で新潟1区から立候補したが落選した[5]。落選後は新潟家庭裁判所調停委員などを務めた[2]。1982年新潟市で死去[3]。
脚注
[脚注の使い方]