欧州合衆国

欧州連合
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議会
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ダヴィド・サッソリ
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マンフレート・ヴェーバー: EPP
イラチェ・ガルシア: S&D
第9回欧州議会会派勢力図
第9回欧州議会会派勢力図
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副議長
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閣僚理事会
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総務
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通常立法手続
通常立法手続
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欧州理事会
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委員会
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ヨーロッパ合衆国
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  • 1979年, 1984年, 1989年
    1994年, 1999年, 2004年
1979年からの選挙結果の推移
1979年からの選挙結果の推移
  • 2009年, 2014年, 2019年(前回選挙)
  • 政党
人民党
社会党
保守改革党
自由民主改革党
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ほか5党
EU民主
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ID
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(NI)
  • 選挙区
議会選挙区
議会選挙区
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  • 基本条約;
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統合(1965年)
SEA(1986年)
マーストリヒト(1992年)
アムステルダム(1997年)
ニース(2001年)
リスボン(2007年)
  • 基本権憲章
  • 加盟国

欧州合衆国(英語:United States of Europe、USE、ドイツ語:Bundesrepublik Europa)またはヨーロッパ合衆国は、ヨーロッパアメリカ合衆国のように、一つの国民国家、一つの連邦国家にしようという、いくつかの類似した欧州統合のシナリオである。

一部の政治学者政治家地理学者歴史学者未来学者によって提唱され、スペキュレイティブ・フィクションサイエンス・フィクションに登場することもある。

歴史

ヨーロッパ合衆国の構想は、数世紀にわたって様々なものが登場した。しかしそれらは個々に関係性はなく、ヨーロッパの範囲や宗教の取り扱いなど、いくつかの重要な相違点を含んでいる。 ジョージ・ワシントンラファイエットに宛てた手紙の中で、「いつの日か、アメリカ合衆国をモデルに、ヨーロッパ合衆国が出現するだろう」と書いている [1][2]

19世紀

ウィキソースにユーゴーによる国際平和議会スピーチの原文があります。

ジュゼッペ・マッツィーニは、「ヨーロッパ合衆国」の初期の主張者の一人である。彼は青年ヨーロッパ青年イタリアを結成するなどしたイタリア統一運動の指導者の一人であり、彼にとって欧州統合は、イタリア統一運動の理論的継承であった。

「ヨーロッパ合衆国」という用語は、ヴィクトル・ユーゴーが1849年にパリで開催された国際平和議会で行ったスピーチに登場する。ユーゴーは統合に前向きであった。「いつの日にか、我々の大陸にある国家がみな一つのヨーロッパとして連合を形成する日が来るだろう...」と語っている。

イタリアの哲学者カルロ・カッターネオは「この流れは二つの結末に向かう可能性がある。専制君主、あるいはヨーロッパ合衆国だ」と著書で述べている。

20世紀

第一次世界大戦を経験し、一部の思想家は統一されたヨーロッパについての考えを提案した。

1923年リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、欧州統合を具体的な内容で構想して示した『汎ヨーロッパ』を著しセンセーションを起こす。1926年にはウィーンで最初の汎ヨーロッパ議会を開催した。しかし、ドイツアドルフ・ヒトラーにとって汎ヨーロッパ主義は邪魔であり、1938年のオーストリア併合後彼はチェコスロバキアハンガリーユーゴスラビアイタリアを経てスイスへ逃避行。さらにフランスを本拠にするも、1940年、フランスがドイツの手に落ちるとスイス、ポルトガルを経てアメリカに逃げた。第二次世界大戦後、1947年にはヨーロッパ議員同盟(EPU: European Parliamentary Union)を創設するなど、ヨーロッパ共同体の進展に尽力した。クーデンホーフ=カレルギーの目標は特にキリスト教のヨーロッパ世界に向けられていたが、一方で、レフ・トロツキーなどは非キリスト教徒の立場共産主義ヨーロッパを目指し、1923年、「ヨーロッパ合衆国のためのソ連」というスローガンを標榜した。

1929年には、アリスティード・ブリアン仏首相が、ヨーロッパの国家の連合についての考えを提案した。

また、イギリスウィンストン・チャーチルは、1946年9月19日にスイスのチューリッヒ大学で行なった演説でヨーロッパ合衆国の創設を訴えた[3]。ただし、あまり指摘されることはないが、この演説でチャーチル自身はイギリスをヨーロッパ合衆国に含めていない考えを示した[3]。この演説はリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの協力があった[4]。その後、イギリスは1973年欧州経済共同体(EEC、欧州連合の前身)に加盟し、欧州統合の流れの中に入ったものの、2016年の国民投票で離脱賛成が多数派を占め、2020年1月31日に離脱している。

脚注

  1. ^ イヴァン・T・ベレンド; イヴァン・ベレンド (2012). An Economic History of Nineteenth-Century Europe: Diversity and Industrialization. Cambridge University Press. p. 289. ISBN 9781107030701. https://books.google.co.jp/books?id=QkL_xRYVbhwC&pg=PA289&redir_esc=y&hl=ja. "(quoted by Fontaine, 2001, 1)." 
  2. ^ André Fontaine (2001). Farewell to the United States of Europe: long live the EU!. openDemocracy.net. 
  3. ^ a b “Winston Churchill, speech delivered at the University of Zurich, 19 September 1946”. 欧州評議会. 2013年7月29日閲覧。
  4. ^ “Рихард Николас фон Куденхове-Калерги”. 汎ヨーロッパ連合 (PANEUROPA.ru). 2013年7月29日閲覧。

関連項目

ウィキクォートにヨーロッパ合衆国に関する引用句集があります。
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