民主カレン慈善軍

民主カレン慈善軍
ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော်
民主カレン慈善軍旗(民主カレン仏教徒軍旗と同じ)
指導者
  • ソー・モシュエ(英語版)(2016年–2021年)[1][2]
  • Bo Nat Khann Mway(英語版) (2010年–2016年)[3][4][5]
活動期間 2010年 (2010)
本部 ミャンマーの旗 ミャンマーミャワディ郡区(英語版) ソンズィーミャイン(Sonesee Myaing)
活動地域 カイン州
主義 カレン族ナショナリズム[6]
上座部仏教[7]
規模 1,500[8][9]
関連勢力

アラカン軍
カレン民族同盟

敵対勢力

ミャンマーの旗 ミャンマー

戦闘と戦争

ミャンマー内戦

  • カレン族の武装蜂起(英語版)
    • ミャンマー国境軍事衝突 (2010年–2012年)(英語版)
仏教旗

民主カレン慈善軍(みんしゅカレンじぜんぐん、英語: Democratic Karen Benevolent Armyビルマ語: ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော်、略称DKBA)は、ミャンマーカレン族系軍事組織である。民主カレン仏教徒軍第5旅団(みんしゅカレンぶっきょうとぐんだい5りょだん、英語: Democratic Karen Buddhist Army - Brigade 5、略称DKBA-5、ビルマ語: ဒီမိုကရက်တစ်ကရင်အကျိုးပြုတပ်မတော် - တပ်မဟာ 5)の名前でも知られるほか、ミャンマー政府からはカロートゥボー大隊(カロートゥボーだいたい、Klo Htoo Baw Battalion)と呼称されている。

カレン民族同盟(Karen National Union、KNU)とゆるやかに連携している。また、アラカン軍(Arakan Army、カレン州を拠点とする組織でありラカイン州アラカン軍とは無関係)とも協働している[10]ドーナ山脈(英語版)東部・ミャワディ以南の地域を主な支配地域とし、国境貿易および通行量の徴収、スズなどの鉱物採掘・輸出および採掘権の販売を収入源としている[11]

歴史

成立

もともとは民主カレン仏教徒軍(Democratic Karen Buddhist Army、DKBA)の一部門であり、分裂時の指導者ラプエー(ボーナッカンムウェー(英語版))の率いる国境開発旅団(第5旅団)であった。ラプエーは、同組織が国境警備隊(Border Guard Forces、BGF)としてミャンマー軍の下部組織に再編されることに反対し、そのままDKBAを名乗り続けた[11][3]。ラプエーは、民主カレン仏教徒軍の分裂前の母体であった組織である、KNUと協力する姿勢を見せた[11]2010年ミャンマー総選挙の最中、ミャワディ郡区(英語版)の政府軍および治安部隊を攻撃した[6]

ミャワディ以南を支配地域としていたが、2011年5月24日には、ミャインジーグー(英語版)に駐屯していた、ボピ(Bo Pi)大隊長率いるBGF第1012大隊は国軍士官を追放し、ラプエー率いるDKBAに合流した。これにより、同組織の支配地域には飛び地的にミャインジングー周辺およびメタワ(Mae Tha Wor)が加わることとなった[11]2011年11月3日に政府との停戦協定に署名したが、民主カレン仏教徒軍とは異なり、武装解除には同意しなかった[7]。ラプエーは仏教徒ではなくキリスト教徒であったため[12]、この停戦協定の後に組織名を「民主カレン慈善軍」に改称した[11]

分裂とその後

2014年10月21日にはチャインッセジーを拠点としていた士官のサンアウン(San Aung)がDKBAを追放された。飲酒運転をしていた彼の部下が事故を起こし、これを取り締まろうとした国軍治安当局を射殺したこと、サンアウンがDKBAからの状況説明に応えようとしなかったことがそのきっかけであるとされる。コーカレイ(英語版)近郊のカウンムーを拠点としていたジョッテ(Kyaw Thet)は彼を擁護すべく、2015年3月7日にサンアウンを再び組織に迎え入れるという声明を出した[11]。サンアウンとジョッテはコーカレイ郡区内・アジアハイウェイ近郊でBGFおよび国軍と武力衝突をおこし、DKBAは7月21日付で両者が自勢力と無関係であるという声明を出した[13]。民主カレン慈善軍は10月15日全国停戦合意(英語版)に署名したが、ボピはこれに反発し、サンアウンとジョッテの離反グループに合流した。彼らは再び民主カレン仏教徒軍(DKBA)を名乗ったが、国軍およびDKBAの攻撃により多くの拠点を失い、メタワ近郊山岳地帯への潜伏を余儀なくされた[11]

ラプエーは健康上の理由から、2015年3月15日付で引退し、副司令官のソー・モシュエ(英語版)が後継となった[11]。ラプエーはヤンゴンおよびシンガポールがんの療養を続けていたが、2016年3月13日に死去した[3]

出典

  1. ^ “DKBA appoints new Commander-in-Chief”. Mizzima. (2016年4月22日). オリジナルの2018年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180108174815/http://www.mizzima.com/news-domestic/dkba-appoints-new-commander-chief 2016年12月24日閲覧。 
  2. ^ “General Saw Mo Shay Appointed As DKBA's New Commander-in-Chief”. Karen Times. オリジナルの2016年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161225144004/http://www.karentimes.net/general-saw-mo-shay-appointed-as-dkba-s-new-commander-in-chief.html 2016年12月24日閲覧。 
  3. ^ a b c Naing, Saw Yan (2016年3月14日). “Charismatic DKBA Leader Dies at 54”. The Irrawaddy. オリジナルの2020年9月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200923151416/https://www.irrawaddy.com/news/burma/charismatic-dkba-leader-dies-at-53.html 2016年12月24日閲覧。 
  4. ^ “DKBA Leader, Major General Saw Ler Pwe Succumbs To Cancer «  Karen News”. karennews.org. オリジナルの2016年12月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161225081556/http://karennews.org/2016/03/dkba-leader-major-general-saw-ler-pwe-succumbs-to-cancer.html/ 2016年12月24日閲覧。 
  5. ^ “DKBA leader Na Kham Mwe dies of cancer - The Nation”. The Nation. オリジナルの2016年4月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160411215620/http://www.nationmultimedia.com/politics/DKBA-leader-Na-Kham-Mwe-dies-of-cancer-30281487.html 2016年12月24日閲覧。 
  6. ^ a b “Myanmar Peace Monitor: Stakeholders - DKBA-5”. 2015年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月8日閲覧。
  7. ^ a b “Myanmar rebel armies join forces”. Al-Jazeera English(英語版). (2010年11月12日). オリジナルの2010年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101113231454/http://english.aljazeera.net/video/asia-pacific/2010/11/2010111245020326197.html 2010年11月12日閲覧。 
  8. ^ “Myanmar Peace Monitor”. 2019年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月31日閲覧。
  9. ^ “Peace may prove elusive as divisions sap strength of karen national union | Bangkok Post: news” (英語). www.bangkokpost.com (Bangkok Post). (2012年10月14日). http://www.bangkokpost.com/news/investigation/316916/peace-may-prove-elusive-as-divisions-sap-strength-of-karen-national-union 2018年3月10日閲覧。 
  10. ^ “Myanmar Peace Monitor - Arakan Army (Karen Region)”. 2017年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月9日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h 佐々木, 研「ミャンマー・カイン州の武装勢力による現行和平プロセスへの反応」『東洋文化研究所紀要』第179巻、2021年3月26日、77-103頁。 
  12. ^ Gravers, Mikael (2022). “A Saint in Command? Spiritual Protection, Justice and Religious Tensions in the Karen State”. Independent Journal of Burmese Scholarship 2020, Vol.1: Unknown. https://ijbs.online/journal-issues/2020-vol-1/. 
  13. ^ “DKBA sacks Brigadier General Saw Kyaw Thet and Colonel Saw San Aung”. mizzima. (2015年6月24日). https://mizzima.com/news-domestic/dkba-sacks-brigadier-general-saw-kyaw-thet-and-colonel-saw-san-aung 2024年3月14日閲覧。 
ミャンマーの少数民族武装勢力(一覧(英語版)
活動中
  • AA (ULA(英語版))
  • AA (ANC(英語版))
  • ALA(英語版) (ALP(英語版))
  • ARSA
  • BPLA
  • CDF
  • CNA (CNF(英語版))
  • CNDF
  • DKBA
  • KIA (KIO(英語版))
  • KNA(B)
  • KNA
  • KNDO(英語版) / KNLA (KNU)
  • KA (KNPP)
  • KNDF
  • KNPLF
  • KNLP
  • KPC
  • KTLA
  • LDU(英語版)
  • MNDAA (MNTJP(中国語版))
  • MNLA (NMSP)
  • MRDA/BNRA(英語版)
  • NDAA(英語版) (PSC)
  • NSCN-K(英語版)
  • PNA (PNO(英語版))
  • PNLA (PNLO(英語版))
  • PRA
  • RSO(英語版)
  • SNA
  • SSA-N (SSPP)
  • SSA-S (RCSS(英語版))
  • TNLA (PSLF(英語版))
  • UWSA (UWSP(英語版))
  • WNA (WNO(英語版))
  • ZRA(英語版) (ZRO)
活動停止
  • ARIF(英語版)
  • CPA(英語版)
  • DKBA
同盟
武力衝突
  • ビルマ共産党 (1948–1988)(英語版)
  • 中緬国境 (1960–1961)(英語版)
  • カチン(英語版)
  • カレン(英語版)
  • カレン=モン(英語版)
  • コーカン
    • 2009(英語版)
    • 2015(英語版)
  • ロヒンギャ(英語版)
    • 1978(英語版)
    • 1991–1992(英語版)
    • 2016-現在(英語版)
  • 2021年クーデター以後(英語版)
和平プロセス
  • 停戦(英語版)
    • 全国停戦合意(英語版)
  • 21世紀パンロン会議(英語版)
関連組織
  • ABSDF(英語版)
  • BGF
  • SAF
  • PDF (NUG)
  • PLA (CPB)
  • RFCP(英語版)
  • VBSW(英語版)