沢田一精

沢田 一精(澤田 一精[1]、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本政治家熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。

来歴・人物

熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年第6回参議院議員通常選挙熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。

その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。1975年4月、日本赤十字社熊本県支部事業資金として100万円寄付、同年5月熊本県小川町立小川中学校彫刻建立費用として100万円寄付により同年12月24日及び1976年5月29日、紺綬褒章受章[2][3]。知事を3期務めて4選を目指したが、細川護煕との自民党公認争いに敗れて立候補を断念。1983年7月に再び第13回参議院議員通常選挙で当選し、中曽根派に属した。

1989年には浦田勝岩崎八男に自民党の公認争いで敗れたため、離党届を提出し無所属で立候補し、両者を下して当選。1991年2月22日に復党し、三塚派に入会。1995年4月29日には勲一等旭日大綬章を受章。妻の病気などを理由に同年の選挙に立候補せず、政界から引退した。その後、1996年の総選挙で惨敗して引責辞任した北里達之助の後を受け、1997年7月2日から2000年9月13日まで自民党熊本県連の会長を務めた。

2016年3月4日、膵臓がんのため死去[4]。94歳没。死没日をもって従三位に叙される[1]

出典

  1. ^ a b 『官報』第6751号9-10頁 平成年28年4月7日号
  2. ^ 『官報』第1976号15頁 昭和51年1月8日号
  3. ^ 『官報』号外第46号7-10頁 昭和51年6月7日号
  4. ^ 沢田一精さん死去 元熊本県知事、元参院議員 朝日新聞 2016年3月4日閲覧
公職
先代
寺本広作
熊本県の旗 熊本県知事
公選第7 - 9代:1971年 - 1983年
次代
細川護熙
党職
先代
北里達之助
自由民主党熊本県県連会長
第8代
次代
木村仁
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
定数1
第19回以降)
奇数回
偶数回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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