流山町

曖昧さ回避 この項目では、1951年まで存在した流山町について説明しています。1952年に江戸川町から改称した流山町については「流山市」をご覧ください。
ながれやままち
流山町
流山駅
廃止日 1951年4月1日
廃止理由 新設合併
流山町、八木村、新川村 → 江戸川町
現在の自治体 流山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.2 km2.
総人口 7,429
(平成18年千葉県統計年鑑、1951年4月1日)
隣接自治体 千葉県松戸市、東葛飾郡小金町、八木村、新川村
埼玉県北葛飾郡三輪野江村早稲田村
流山町役場
所在地 千葉県東葛飾郡流山町大字流山102番地
座標 北緯35度51分20秒 東経139度53分55秒 / 北緯35.8556度 東経139.8986度 / 35.8556; 139.8986座標: 北緯35度51分20秒 東経139度53分55秒 / 北緯35.8556度 東経139.8986度 / 35.8556; 139.8986
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流山町(ながれやままち)は、1889年明治22年)4月1日から1951年昭和26年)4月1日まで存在した千葉県東葛飾郡の町。現在の千葉県流山市南部に当たる地域。

地理

歴史

流山市」も参照

この地方は以前は葛飾郡に、のち東葛飾郡に属した。

  • 1873年明治6年) - 大区小区制施行に伴い、第11大区6小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行により、以下の単位で村連合を組成する。
    • 流山村および加村
    • 鰭ヶ崎村、西平井村および後に八木村となる前平井、思井の各村
    • 三輪野山村および後に新川村となる下花輪、上貝塚、上新宿、新宿新田の各村
    • 木村および後に馬橋村となる九郎左衛門新田、七郎右衛門新田、大谷口新田、主水新田、外河原、三村新田の各村
  • 1884年(明治17年) - 以下の単位で、同一戸長役場の所轄下となる。
    • 流山村、木村、加村および西平井村
    • 鰭ヶ崎村、後に馬橋村となる馬橋、新作、中根、幸谷、三ヶ月、九郎左衛門新田、七郎右衛門新田、大谷口新田、主水新田、外河原、三村新田の各村および後に小金町となる横須賀村
    • 三輪野山村、後に新川村となる桐ヶ谷、大畔、北、下花輪、谷、小屋、上新宿、上新宿新田、上貝塚、南の各村および後に八木村となる駒木新田、駒木、大畔新田、十太夫新田、青田新田、初石の各村
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東葛飾郡流山(江戸川以東)、木(九郎左衛門新田、大谷口新田、小金町への飛地を除く)、西平井、鰭ヶ崎、三輪野山(江戸川以東)、加(江戸川以東)、岩野木(江戸川以東)の各村および横須賀飛地、小金町飛地、七郎右衛門新田飛地を合併して、新たに流山町が設置された。
    新町の名称は、流山村が関係諸村中の最大の村であり、かつ、古い頃から著聞していた地名であったため、それを踏襲して流山町とした。
  • 1916年大正5年)3月14日 - 流山軽便鉄道(後の流山鉄道、現在の流鉄)が開通。鰭ヶ崎駅および流山駅が開業。
  • 1933年昭和8年)4月1日 - 流山鉄道の赤城駅(現在の平和台駅)が開業。
ウィキソースに江戸川町を置く件総理府告示文があります。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 東葛飾郡新川村および八木村と合併し、江戸川町となる。
  • 1952年(昭和27年)1月1日 - 江戸川町から流山町へ改称。
  • 1967年(昭和42年)1月1日 - 流山町が市制施行。流山市となる。
  • 流山町旧市街
    流山町旧市街
  • 一茶双樹記念館
    一茶双樹記念館
  • 秋元邸
    秋元邸
  • 新選組流山本陣
    新選組流山本陣

交通

鉄道路線

道路

現在の町名

おおむね加、木、西平井、鰭ケ崎南流山三輪野山と、宮園の一部に相当する。

関連項目