積丹郡

北海道積丹郡の位置(緑:積丹町 薄緑:他郡から編入された区域)

積丹郡(しゃこたんぐん)は、北海道後志国後志総合振興局

人口1,753人、面積238.13km²、人口密度7.36人/km²。(2024年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、積丹町の一部(美国町・幌武意町・婦美町を除く[1])にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代、積丹郡域は和人地となる。松前藩によってシャコタン場所が開かれていた。松前藩の地頭藤倉近兵衛によって神殿を神岬村に創建され「志屋古丹(しやこたん)明神」、「於賀武意(おかむい)明神」として奉斎されていた神威神社寛文3年よりも前の創祀である。元禄元年以降、神威岬から北は女人禁制とされていた。陸上交通は、積丹・美国両場所請負人岩田屋金蔵によって積丹場所日司より美国場所小泊に至る約4里(15.7km)の新道(道道野塚婦美線国道229号の前身)が開削されている。

江戸時代後期の文化4年には、積丹郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固にあたった。同年神威岬の女人禁制が解かれている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して積丹郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の積丹郡の町村(9.入舸村 10.余別村 桃:積丹町)
  • 明治2年8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、後志国および積丹郡が設置される。開拓使が管轄。
  • 明治5年
    • 4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
    • 10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
  • 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
  • 第5大区
    • 5小区 : 出岬村、入舸村、日司村、野塚村、西河村
    • 6小区 : 来岸村、余別村、神岬村

脚注

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  1. ^ 1956年美国郡から編入。

参考文献

関連項目

札幌市
その他市部
石狩振興局管内の郡
渡島総合振興局管内の郡
檜山振興局管内の郡
後志総合振興局管内の郡
空知総合振興局管内の郡
上川総合振興局管内の郡
留萌振興局管内の郡
宗谷総合振興局管内の郡
オホーツク総合振興局管内の郡
胆振総合振興局管内の郡
日高振興局管内の郡
十勝総合振興局管内の郡
釧路総合振興局管内の郡
根室振興局管内の郡
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