荏原オデヲン座

荏原オデヲン座
Ebara Odeon
種類 事業場
市場情報 消滅
略称 荏原オデヲン
本社所在地 日本の旗 日本
142-0052
東京都品川区東中延一丁目11番21号
設立 1952年4月
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
代表者 高橋康友
主要株主 東亜興行
関係する人物 高橋康友
外部リンク toakogyo.com
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荏原オデヲン座(えばらオデオンざ)は、かつて東京に存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6]東亜興行新宿歌舞伎町に進出した半年後の1952年(昭和27年)4月、品川東中延に開館した[3]

沿革

データ

  • 所在地 : 東京都品川区東中延一丁目387番地[6]
    • 現在の東京都品川区東中延一丁目11番21号 ジェイパーク荏原中延ステーションサイド[8]
    北緯35度36分35.49秒 東経139度42分44.74秒 / 北緯35.6098583度 東経139.7124278度 / 35.6098583; 139.7124278
  • 経営 : 東亜興行株式会社
  • 構造 : 木造
  • 観客定員数 : 不明(推定だが、1階200名、2階50名程度)

概要

1954年(昭和29年)1月に発行された『荏原オデオン座 Movie Weekly』の表紙。

1952年(昭和27年)4月、東京急行電鉄池上線荏原中延駅の東側、品川区東中延一丁目387番地(現在の東中延一丁目11番21号)に開館した[3][4][6][8]。1949年(昭和24年)8月、阿佐ケ谷駅北口に「阿佐谷オデヲン座」を開館して創業した高橋康友の東亜興行株式会社が、前年1951年(昭和26年)11月に開館して新宿・歌舞伎町に進出した「新宿オデヲン座」、それについで4館目に開業した映画館である[1][3]

同館は開業当時から外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映する劇場で、たとえば1954年(昭和29年)1月には、1952年9月4日に日本で初公開された長尺の『風と共に去りぬ』(監督ヴィクター・フレミング[9]を単独で上映し、翌週には前年の暮れである1953年12月27日に日本で公開された『男の叫び(英語版)』(監督ウィリアム・A・ウェルマン[10]、および同じく『荒原の疾走(英語版)』(監督ジョン・ファロー)、戦前の公開作の再映『キング・コング』(監督メリアン・C・クーパー)が三本立てで上映されている[注釈 1]

同館が建つ前、とくに第二次世界大戦前の荏原中延駅の近辺には、1932年(昭和7年)に中延電気館(東中延二丁目402番地)が建つまでは映画館が存在せず、周囲の戸越銀座駅、蛇窪駅(戸越公園駅)近辺には、荏原館(戸越162番地、のちの小山二丁目162番地)、八幡館(戸越1166番地)、富士見館(下蛇窪763番地、のちの二葉町三丁目537番地)、戸越キネマ(のちの戸越銀映座、戸越1169番地、のちの東戸越一丁目1169番地)が存在していた[11][12]。戦時中の1942年(昭和17年)までには、荏原館、富士見館、荏原大都館(のちの荏原大映劇場、荏原三丁目129番地)、荏原明神館(二葉町五丁目454番地)、小山映画劇場(のちの西小山文化劇場、小山六丁目353番地)、荏原劇場(西中延四丁目950番地)があり、荏原中延駅の近辺には中延電気館、戸越銀映座が存在した[13][14]

戦後は、荏原中延駅の周辺には「荏原オデオン座」のほかに荏原センター劇場(東中延二丁目445番地)があり、荏原大映劇場は戦時中からひきつづきあり、戦前の小山映画劇場が西小山文化劇場・西小山名画座になり、1954年(昭和29年)までには、南星座(小山三丁目79番地)、バラ座(小山三丁目139番地)、巴里座(小山三丁目76番地)、プリンス座映画劇場(のちの荏原東映プリンス劇場、荏原三丁目145番地)、旗の台駅前に旗の台ミリオン座(西中延五丁目1223番地)と、非常に多くの映画館が花開いた[6]。1957年(昭和32年)までには、さらに荏原新映画劇場、戸越銀座劇場、戸越公園文化映劇が加わった[5]東玉川に住んでいた田中小実昌は、雪が谷大塚駅から池上線に乗り、荏原中延駅で降りて「荏原オデオン座」で映画を観たことを『いろはにぽえむ』に記している[15]

1980年代になると、これらの映画館もほとんどなくなり、成人映画館として残った荏原東映プリンス劇場が1983年(昭和58年)7月に閉館、「荏原オデオン座」も1987年(昭和62年)には閉館した[2][7]

2000年(平成12年)8月には、跡地に8階建マンション「ジェイパーク荏原中延ステーションサイド」が竣工、分譲された[8]。同館の前の南北の通りを現在も「銀幕商店街」と呼ぶのは、同館に由来する[16]

脚注

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注釈

  1. ^ File:Ebara Odeon Jan 1954-0.jpg、荏原オデオン座

出典

  1. ^ a b キネ旬[2010], p.52, 56-59.
  2. ^ a b c 名簿[1987], p.94.
  3. ^ a b c d e 会社概要、東亜興行、2013年7月30日閲覧。
  4. ^ a b 荏原中延、昭和毎日、毎日新聞、2013年7月30日閲覧。
  5. ^ a b 昭和32年の映画館 東京都 573館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』)、2013年7月30日閲覧。
  6. ^ a b c d 東京航空写真地図 第3集、国立国会図書館、2013年7月30日閲覧。
  7. ^ a b 名簿[1988], p.32.
  8. ^ a b c d ジェイパーク荏原中延ステーションサイド、SUUMO物件ライブラリーリクルート、2013年7月30日閲覧。
  9. ^ 風と共に去りぬ - KINENOTE、2013年7月30日閲覧。
  10. ^ 男の叫び - allcinema、2013年7月30日閲覧。
  11. ^ 総覧[1930], p.556.
  12. ^ 昭和7年の映画館 東京府下 146館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』)、2013年7月30日閲覧。
  13. ^ 年鑑[1942], p.10-36, 10-37.
  14. ^ 年鑑[1943], p.451.
  15. ^ 田中[1985], p.202.
  16. ^ 愛沢[2005], p.19.

参考文献

  • 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
  • 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
  • 『いろはにぽえむ - ぼくのまじめ半生記』、田中小実昌阪急コミュニケーションズ、1985年2月 ISBN 4484852039
  • 『映画年鑑 1987 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1987年
  • 『映画年鑑 1988 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1988年
  • 『およねさん 竜の伝説』、愛沢さとし、文芸社、2005年9月 ISBN 4286002675
  • 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、荏原オデヲン座に関連するカテゴリがあります。
  • 荏原中延 - 昭和毎日(毎日新聞)、同館の地図(1956年)
  • 荏原オデオン座 - Goo地図、1963年(昭和38年)の航空地図
  • TOA KOGYO - 経営元の公式ウェブサイト