阿野実為

 
凡例
阿野実為
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 応永6年(1399年)頃
改名 実為→匡円(法名)
官位 従一位内大臣(南朝)
主君 後村上天皇長慶天皇後亀山天皇
氏族 阿野家
父母 父:阿野季継
兄弟 実村?、実為
公為、女子[1]
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阿野 実為(あの さねため)は、南北朝時代の公卿権大納言・阿野季継の子[2]官位従一位内大臣(南朝)。祖父・阿野公廉の女・廉子(新待賢門院)が後醍醐天皇の寵妃であった関係から、阿野家は代々南朝方公卿として活躍した。

経歴

具体的な官歴は不明だが、正平6年/観応2年(1351年)頃には右近衛少将、正平13年/延文3年(1358年)5月には「蔵人頭左中弁兼右近衛権中将」[3]であるから、間もなく参議として公卿に列したのであろう。正平20年/貞治4年(1365年)には権中納言、天授元年/永和元年(1375年)には権大納言として見えるが、天授3年/永和3年(1377年)7月以前に大納言に転じ、弘和元年/永徳元年(1381年)には前大納言である。

その後、後亀山天皇の信任を得て内大臣に昇り、元中6年/康応元年(1389年)6月には既に散位であった[4]。元中9年/明徳3年(1392年)の南北朝合一に際しては、吉田宗房と共に対幕府交渉に臨み、閏10月に天皇に供奉して吉野から入洛した。合一後は落飾して匡円と号し、嵯峨大覚寺に入った後亀山上皇(法皇)に近仕しているが、応永5年(1398年)から同7年(1400年)の間に薨去したとみられる。

南朝歌壇においては、正平8年(1353年)の『内裏千首』の他、『内裏三百六十首歌』・『五百番歌合』などに詠進し、また、嘉喜門院の要請を受けてその家集(『嘉喜門院集』[5])を清書した。『新葉和歌集』には11首が入集する。

系譜

  • 父:阿野季継
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:阿野公為
    • 女子:

脚注

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  1. ^ 吹上本『帝王系図』の巻末付紙によれば、後亀山天皇の生母は実為の女である。村田正志は、この女が嘉喜門院と同一人ではないかと憶測している。
  2. ^ 公卿補任』永徳2年(壬戌)非参議従三位「藤公為」袖書による。『尊卑分脈』『阿野家譜』に「季継―実村―実為」とつなげるのは誤りであろう。
  3. ^ 『佐田文書』正平13年5月29日付後村上天皇口宣案
  4. ^ 『観心寺文書』元中6年6月18日付阿野実為御教書に「阿野前内大臣殿」として見える。同文書によれば、実為は当時新宣陽門院別当を務めていたか。
  5. ^ 同集は巻首の袖書に実為の詠歌が記されているため、かつては誤って『実為集(実為大納言集とも)』と題されていた経緯がある。
唐花紋阿野家8代当主
阿野氏(武家)
  1. 全成
  2. 時元
  3. 義継
  4. 義泰
  5. 頼為
  6. 頼基
  7. 頼房
  8. 頼直
阿野家(公家)
  1. 公佐
  2. 実直
  3. 公仲
  4. 公廉
  5. 実廉
  6. 季継
  7. 実村
  8. 実為
  9. 公為
  10. 実治
  11. 公熙
  12. 季賢
  13. 季綱
  14. 季時
  15. 実時
  16. 実顕
  17. 公福
  18. 公業
  19. 実藤
  20. 実字
  21. 公緒
  22. 実惟
  23. 公縄
  24. 実紐
  25. 公倫
  26. 実典
  27. 公誠
  28. 実允
  29. 季忠
  30. 佐喜子