カルロス・ビアンチ

カルロス・ビアンチ
1970年のビアンチ
名前
本名 カルロス・アルセシオ・ビアンチ
Carlos Arcecio Bianchi
愛称 El Virrey(エル・ビレイ、総督)[1]
ラテン文字 Carlos BIANCHI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1949-04-26) 1949年4月26日(75歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 178cm
選手情報
ポジション FW
ユース
1960-1967 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1973 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 165 (121)
1973-1977 フランスの旗 スタッド・ランス 124 (107)
1977-1979 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 74 (64)
1979-1980 フランスの旗 ストラスブール 22 (8)
1980-1984 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 159 (85)
1984-1985 フランスの旗 スタッド・ランス 18 (8)
1967-1985 通算 562 (393)
代表歴
1970-1972 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 14 (7)
監督歴
1985-1988 フランスの旗 スタッド・ランス
1989-1990 フランスの旗 ニース
1993-1996 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
1996 イタリアの旗 ローマ
1998-2001 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
2003-2004 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
2005-2006 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
2013-2014 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
1. 国内リーグ戦に限る。2014年10月1日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

カルロス・ビアンチCarlos Bianchi, 1949年4月26日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手としてアルゼンチン代表だった。選手時代のポジションはフォワード。

経歴

選手経歴

CAベレス・サルスフィエルドの下部組織出身であり、18歳の時にボカ・ジュニアーズ戦(1-1)でトップチームデビューした。その後ベレスとプロ契約し、ナシオナル1968ではリーグ優勝。ナシオナル1970では18得点で得点王に輝き、メトロポリターノ1971では36得点で得点王に輝いた。1970年から1972年にかけてアルゼンチン代表に選出され、14試合に出場して7得点したが、当時の代表チームは、国外でプレーする選手を代表には招集しなかったことから、フランス移籍後はクラブでの活躍があらながらも、デリオ・オニス同様に招集されなかった。

1973年、フランス・ディヴィジョン・アン(1部)のスタッド・ランスに移籍。4シーズンで計107得点を挙げ、1973-74シーズン(30得点)、1975-76シーズン(34得点)、1976-77シーズン(28得点)の3度に渡って得点王のタイトルを獲得した。1977年にはパリ・サンジェルマンFCに移籍し、在籍した2シーズン連続(前所属クラブと合わせて4シーズン連続)で得点王のタイトルを獲得した。1979-80シーズンはRCストラスブールでプレーしたが、ストラスブールでは成功をおさめることができず、8得点に終わった。1980年に母国の古巣ベレスに戻り、1981メトロポリターノでは15得点を挙げた。1984年に再びフランスのスタッド・ランスに加入し、1985年に現役引退した。ベレスでは通算206得点を挙げてクラブの歴代最多得点記録を保持しており、この記録はアルゼンチンサッカー全体でも9位の記録である。リーグ・アンでも歴代9位となる計179得点を挙げた。

現役引退後

現役引退後、国際サッカー連盟(FIFA)によって世界各国1部リーグにおけるアルゼンチン人最多得点者として認められた。ビアンチは2ヶ国の1部リーグで計385得点(アルゼンチンで206点、フランスで179点)を挙げており、計377得点のアルフレッド・ディ・ステファノや計352得点のデリオ・オニス(アルゼンチンで53得点、フランスで299得点)を凌いでいる。

指導者経歴

1993年、選手時代の古巣ベレスの監督に就任した。ベレスは1968年以来リーグ優勝から遠ざかっていたが、1993クラウスーラで優勝に導き、ベレスでは選手・監督の両方でリーグタイトルを獲得した。1994年にはコパ・リベルタドーレスを制した。決勝のサンパウロFC(ブラジル)戦はPK戦にもつれ込んだが、キーパーのホセ・ルイス・チラベルトが自身でもPKを成功させる活躍を見せた。同年のインターコンチネンタルカップでは、過去の同大会で3度優勝しているACミラン(イタリア)を破った。1996年にはチームのキャプテンを務めていたロベルト・トロッタを伴い、イタリア・セリエAのASローマの監督に就任したが、選手との間に不和が生じるなどもあり、1996-97シーズン途中に解任された[2]

その後はベレスに戻り、1998年にはボカ・ジュニアーズの監督に就任。持ち前の手腕を発揮し、国内リーグを3度、コパ・リベルタドーレスを2度、インターコンチネンタルカップを1度制してクラブの黄金期を築き上げた。2001年のインターコンチネンタルカップでは自身3度目の優勝に挑戦したが、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に敗れて退任した。2003年には成績が低迷するボカを救うために再び監督に就任し、破竹の快進撃を見せてリーグ優勝を果たした。同年にはコパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップも制した。監督として4度のコパ・リベルタドーレス制覇、3度のトヨタカップ制覇はどちらも史上初の快挙だった。2004年6月、マウリシオ・マクリ会長との確執が理由で辞任した[1]

2005年にはスペイン・リーガ・エスパニョーラの名門アトレティコ・マドリードの監督に就任したが、2005-06シーズン前半戦終了を待たずに、成績低迷を理由に解任された。2008年10月にはアルゼンチン代表アルフィオ・バシーレ監督が辞任し、ビアンチが後任監督の最有力候補と目された。しかし、アルゼンチンサッカー協会(AFA)のフリオ・グロンドーナ会長との確執から就任話が流れ、その後、ディエゴ・マラドーナが代表監督に就任した。

2009年1月6日、ボカ・ジュニアーズのゼネラル・マネージャー(GM)に就任した[3]。しかし、カルロス・イスチア監督、アルフィオ・バシーレ監督のどちらも満足いく結果を残せなかったため、2010年1月、バシーレ監督の辞任直後にGMを退任した。2012年12月17日、ボカ・ジュニアーズの監督に就任した[4]

人物

ビアンチはブエノスアイレスの中流家庭で生まれ育った。父親はセールスマンであり、ファンでもあったCAベレス・サルスフィエルドからデビューするまでは父親の仕事を手伝うこともあった。ビアンチは1972年に結婚して一男一女を儲けている。長女はサッカー選手のエドゥアルド・ドミンゲスと結婚した。

ビアンチがベレスを指揮している時に、スポーツライターのビクトル・ウーゴ・モラレスがビアンチに「総督」(El Virrey、エル・ビレイ)というニックネームを付けた。ベレスはブエノスアイレスのリニエルス地区に位置しており、この地区名はリニエルス総督(1800年代初頭にリオ・デ・ラ・プラタ地域を統治していた人物)に由来している。

タイトル

選手時代

クラブ

  • CAベレス・サルスフィエルド
プリメーラ・ディビシオン: 1968ナシオナル

個人

  • プリメーラ・ディビシオン得点王: 1970, 1971, 1981
  • リーグ・アン 得点王 : 1973-74, 1975-76, 1976-77, 1977-78, 1978-79

指導者時代

クラブ

  • CAベレス・サルスフィエルド
コパ・リベルタドーレス: 1994
プリメーラ・ディビシオン: 1993クラウスーラ, 1995アペルトゥーラ, 1996クラウスーラ
インターコンチネンタルカップ: 1994
コパ・インテラメリカーナ: 1994
  • ボカ・ジュニアーズ
コパ・リベルタドーレス: 2000, 2001, 2003
プリメーラ・ディビシオン: 1998アペルトゥーラ, 1999クラウスーラ, 2000アペルトゥーラ, 2003アペルトゥーラ
インターコンチネンタルカップ: 2000, 2003

個人

脚注

  1. ^ a b 帰って来たビアンチ総督 スポニチ、2012年12月21日
  2. ^ “¿Cómo le fue a Bianchi en la Roma?” (スペイン語). オレ. 2022年2月25日閲覧。
  3. ^ カルロス・ビアンチ、ボカGMに就任 Goal.com、2009年1月8日
  4. ^ ビアンチ氏がボカ監督に就任 Goal.com、2012年12月18日

外部リンク

  • Carlos Bianchi: "self-belief in the face of adversity" at fifa.com
  • (スペイン語) Futbol Factory profile (Archived)
1930年代
  • 1932-33 カイザー / メルシエ
  • 1933-34 ルカーチ
  • 1934-35 アベグレン
  • 1935-36 クルトワ
  • 1936-37 ロール
  • 1937-38 ニコラ
  • 1938-39 クルトワ / コラニー
  • 1939-40 WWIIのため中断
1940年代
  • 1940-41 WWIIのため中断
  • 1941-42 WWIIのため中断
  • 1942-43 WWIIのため中断
  • 1943-44 WWIIのため中断
  • 1944-45 WWIIのため中断
  • 1945-46 ビエル
  • 1946-47 シニバルディ
  • 1947-48 バラテ
  • 1948-49 バラテ / フンパール
  • 1949-50 グルメロン
1950年代
1960年代
  • 1960-61 ピアントニ
  • 1961-62 トゥーレ
  • 1962-63 マスナゲッティ
  • 1963-64 ウジャニ
  • 1964-65 シモン
  • 1965-66 ゴンデ
  • 1966-67 レヴェリ
  • 1967-68 サンソネティ
  • 1968-69 ギー
  • 1969-70 レヴェリ
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
MVP - 得点王 - GK賞 - 若手選手賞 - 監督賞
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
選手 - 監督
AFC - CONMEBOL
 
クラブ監督歴
ASローマ歴代監督
アトレティコ・マドリード歴代監督
アスレティック・マドリード時代
アスレティック・アビアシオン時代
アトレティコ・アビアシオン時代
アトレティコ・マドリード時代
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