ディキシー・ディーン

ディキシー・ディーン
1931年のディーン
名前
本名 ウィリアム・ラルフ・ディーン
William Ralph Dean
ラテン文字 Dixie Dean
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1907-01-22) 1907年1月22日
出身地 バーケンヘッド
没年月日 (1980-03-01) 1980年3月1日(73歳没)
身長 178cm
選手情報
ポジション FW (CF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1923-1925 イングランドの旗 トレンメア・ローヴァーズ 30 (27)
1925-1937 イングランドの旗 エヴァートン 400 (350)
1938-1939 イングランドの旗 ノッツ・カウンティ 9 (3)
1939 イングランドの旗 スライゴ・ローヴァーズ 7 (10)
1940 イングランドの旗 アシュトン・ユナイテッド 2 (1)
代表歴
1927-1932 イングランドの旗 イングランド 16(18)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ウィリアム・ラルフ・ディーン(William Ralph Dean、1907年1月22日 - 1980年3月1日)は、イングランドマージーサイド州出身のサッカー選手。ディキシー・ディーン(Dexie Dean)というニックネームで知られている。主にエヴァートンFCで活躍した。

ニックネームの「ディキシー」はアメリカ合衆国南部という意味の言葉であり、彼が色黒で黒いカーリーヘアでアフリカ系アメリカ人の特徴によく似ていたことからファンが名付けたと言われる。本人はこのニックネームを気に入らず、「ビル」と呼ばれることを好んでいた。

略歴

マージーサイド州バーケンヘッドという港町で生まれたディーンはエヴァートンFCの大ファンだった父親の影響でサッカーを始めた。地元ペンスビーのクラブでプレーした後、トレンメア・ローヴァーズFCに移ったディーンにエヴァートンFCから声がかかる。ずっと憧れていたクラブからの誘いに喜んで応じたディーンは、すぐに頭角を現した。初めてエヴァートンFCでフルシーズンを戦った1925-1926シーズンのリーグ戦で32ゴールを決めた。

突如スター候補となったディーンだったが、1926年6月にバイク事故に遭い頭蓋骨と顎の骨折の重傷を負うというアクシデントに見舞われる。しかしそのシーズンの途中には完全復帰し、事故に遭う前と変わらぬ活躍を見せた。そして翌1927-1928シーズンには、リーグ戦で60ゴールをあげるとてつもない記録を成し遂げた。これは現在も破られていないクラブレコードであり、ヨーロッパレコードでもある。このシーズンのエヴァートンFCは第一次世界大戦後初となるリーグ優勝を果たした。1930年エヴァートンFCは2部降格となってしまったがディーンはクラブに残留した。そしてわずか1シーズンでの1部復帰に大きく貢献。1933年にはFAカップのタイトルを獲得した。

1937年にフィジカル面での問題からトップチームでのプレーに耐えられなくなったため、エヴァートンFCを退団。その後は小さなクラブを転々とし、戦争の勃発によってプロのキャリアを終えることとなった。引退後はチェスターパブを経営したり、フットボールプールでポーターとして働いていた。

エヴァートンFCで残した成績は、433試合出場・383得点。驚異的な得点率である。383得点はクラブの最多得点記録として現在も残っている。また、彼はとてもプロフェッショナルな選手だったということでも知られている。彼は常に敵チームからラフプレーや挑発行為の対象とされていたにもかかわらず、一枚のイエローカードも退場処分も受けなかったのである。実際に彼は相手選手のタックルを受けて睾丸を1つ潰されている。

ディーンはイングランド代表として16試合に出場して18得点をあげている。そのうちの6点は2度のハットトリックによる。それも、わずか10日間に行われた2試合で、である。

1980年3月1日、ディーンはスタジアムでサッカーの試合を観戦中に心不全で他界した。観戦していたのはエヴァートンFCと最大のライバルであるリヴァプールFCとの試合であり、彼が愛したエヴァートンFCのホームスタジアムであるグディソン・パークであった。

2001年、スタジアムにディーンの記念碑が建てられた。そこには「Footballer , Gentleman , Evertonian」と書かれている。

2002年に新しく創設されたイングランドサッカー殿堂の最初の受賞者の1人に選ばれた。

2003年、以前彼が勤めていたリトルウッズというフットボールプールが協賛してディキシー・ディーン賞を創設した。これはエヴァートンFC所属選手から年間最優秀選手を選出する賞である。

プレイスタイル

ディーンの最も得意な得点パターンはヘディングシュートであった。リーグ戦60得点の記録を作ったシーズンもその半分以上がヘディングによるものだったという。この能力はチームメイトであったトミー・ロートンと一緒に重さを増したメディシンボールを使用して練習をしていた結果である。

獲得タイトル

エヴァートンFC

ノッツ・カウンティFC

  • セントラルリーグ・チャンピオンシップ:1回 1938

個人タイトル

記録

クラブ ディビジョン シーズン リーグ FAカップ クラブ合計 代表 合計
出場数 ゴール数 出場数 ゴール数 出場数 ゴール数 出場数 ゴール数 出場数 ゴール数
ノッツ・カウンティ 3部 1938-39 6 3 - - 6 3 - - 6 3
3部 1937-38 3 0 - - 3 0 - - 3 0
合計 9 3 - - 9 3 - - 9 3
エヴァートン 1部 1937-38 5 1 - - 5 1 - - 5 1
1部 1936-37 36 24 4 3 40 27 - - 40 27
1部 1935-36 29 17 - - 29 17 - - 29 17
1部 1934-35 38 26 5 1 43 27 - - 43 27
1部 1933-34 12 9 - - 12 9 - - 12 9
1部 1932-33 39 24 6 5 45 29 1 0 46 29
1部 1931-32 38 45 1 1 39 46 1 1 40 47
2部 1930-31 37 39 5 9 42 48 1 0 43 48
1部 1929-30 25 23 2 2 27 25 - - 27 25
1部 1928-29 29 26 1 0 30 26 3 1 33 27
1部 1927-28 39 60 2 3 41 63 5 4 46 67
1部 1926-27 27 21 4 3 31 24 5 12 36 36
1部 1925-26 38 32 2 1 40 33 - - 40 33
1部 1924-25 7 2 - - 7 2 - - 7 2
合計 399 349 32 28 431 377 16 18 447 395
トレンメア 3部 1924-25 27 27 3 0 30 27 - - 30 27
3部 1923-24 3 0 - - 3 0 - - 3 0
合計 30 27 3 0 33 27 - - 33 27
キャリア合計 438 379 35 28 473 407 16 18 489 425
受賞
先代
ジミー・トロッター
イングランド1部リーグ得点王
1927–28
次代
デイブ・ハリディ
先代
トム・ウォリング
イングランド1部リーグ得点王
1931–32
次代
ジャック・バワーズ
フットボールリーグ 旧ディビジョン1(1888-1992) 得点王
  • 1888-89: グドール
  • 1889-90: ロス
  • 1890-91: サウスワース
  • 1891-92: キャンベル
  • 1892-93: キャンベル
  • 1893-94: サウスワース
  • 1894-95: キャンベル
  • 1895-96: J.キャンベル / ブルーマー
  • 1896-97: ブルーマー
  • 1897-98: ウェルドン
  • 1898-99: ブルーマー
  • 1899-00: ギャラティ
  • 1900-01: ブルーマー
  • 1901-02: セトル
  • 1902-03: レイボールド
  • 1903-04: ブルーマー
  • 1904-05: A.ブラウン
  • 1905-06: シェパード
  • 1906-07: ヤング
  • 1907-08: ウェスト
  • 1908-09: フリーマン
  • 1909-10: パーキンソン
  • 1910-11: シェパード
  • 1911-12: ハンプトン / ホリー / マクリーン
  • 1912-13: マクリーン
  • 1913-14: エリオット
  • 1914-15: パーカー
  • 1919-20: モーリス
  • 1920-21: J.スミス
  • 1921-22: ウィルソン
  • 1922-23: バカン
  • 1923-24: チャドウィック
  • 1924-25: ロバーツ
  • 1925-26: ハーパー
  • 1926-27: トロッター
  • 1927-28: ディーン
  • 1928-29: ハリデー
  • 1929-30: ワトソン
  • 1930-31: ワーリング
  • 1931-32: ディーン
  • 1932-33: ボウワース
  • 1933-34: ボウワース
  • 1934-35: ドレイク
  • 1935-36: リチャードソン
  • 1936-37: スティール
  • 1937-38: ロウトン
  • 1938-39: ロウトン
  • 1946-47: ウェストコット
  • 1947-48: ルーク
  • 1948-49: モイア
  • 1949-50: デービス
  • 1950-51: モーテンセン
  • 1951-52: ロブレド
  • 1952-53: ウェイマン
  • 1953-54: グラザード
  • 1954-55: R.アレン
  • 1955-56: ロフトハウス
  • 1956-57: チャールズ
  • 1957-58: B.スミス
  • 1958-59: グリーブス
  • 1959-60: バイオレット
  • 1960-61: グリーブス
  • 1961-62: クロフォード / ケヴァン
  • 1962-63: グリーブス
  • 1963-64: グリーブス
  • 1964-65: マッケボイ / グリーブス
  • 1965-66: アーバイン
  • 1966-67: デイビス
  • 1967-68: ベスト / デイビス
  • 1968-69: グリーブス
  • 1969-70: アッスル
  • 1970-71: T.ブラウン
  • 1971-72: リー
  • 1972-73: ロブソン
  • 1973-74: シャノン
  • 1974-75: マクドナルド
  • 1975-76: マクドゥーガル
  • 1976-77: グレイ / マクドナルド
  • 1977-78: ラッチフォード
  • 1978-79: ワーシントン
  • 1979-80: ボイヤー
  • 1980-81: アーチボルト / ホワイト
  • 1981-82: キーガン
  • 1982-83: ブリセット
  • 1983-84: ラッシュ
  • 1984-85: ディクソン / リネカー
  • 1985-86: リネカー
  • 1986-87: アレン
  • 1987-88: オルドリッジ
  • 1988-89: A.スミス
  • 1989-90: リネカー
  • 1990-91: A.スミス
  • 1991-92: ライト
フットボールリーグ - プレミアリーグ
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