トグリル

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トグリル(モンゴル語: Toγril,? - ?)とは、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたスルドス部出身の千人隊長の一人。

集史』などのペルシア語史料ではطغریل(Ṭughrīl)と記される。

概要

『集史』「スルドス部族志」によると、トグリルは幼い頃のチンギス・カンの命を救ったソルカン・シラの一族であったという。『元朝秘史』などには言及がないが、『集史』「チンギス・カン紀」の千人隊長一覧では右翼9番目の千人隊長として名前が挙げられている[1]

トグリルの息子はチャランという名前で、バウルチとして第4代皇帝モンケに仕えていた。1259年にモンケが急死すると、その弟クビライアリク・ブケとの間で帝位継承戦争が勃発し、チャランはアリク・ブケ派についた。チャランはアリク・ブケ派の中でもブルガイアラムダールに並ぶ中心的人物であったようで、内戦がクビライ派の勝利に終わると、「アリク・ブケに悪事を唆した」として処刑されている[2]

しかし、チャランの処刑によってスルドス部とアリク・ブケ家との関係が断たれたわけではなく、『集史』「クビライ・カアン紀」の「メリク・テムルの御家人一覧」では1,5,6,17番目の千人隊長がスルドス部族出身であったと記されており、メリク・テムル・ウルスにおいてスルドス部が重要な位置を占めていたことが窺える[3]

脚注

  1. ^ 志茂2013,666-667頁
  2. ^ 志茂2013,670-672頁
  3. ^ 松田1988,93-96頁

参考文献

  • 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
  • 松田孝一「メリク・テムルとその勢力」『内陸アジア史研究』第4号、1988年
大中軍
:105
首千戸(1)
右翼(38)
左翼(62)
コルゲン家(4)
  • クビライ(バルラス1)
  • トグリル(ネグス1)
  • 佚名(不明1)
  • 佚名(不明1)
  • ※コルゲン家はチンギス・カンの晩年に成立
右翼
:12
ジョチ家(4)
チャガタイ家(4)
オゴデイ家(4)
左翼
:12
カサル家(1)
カチウン家(3)
オッチギン家(5+3)
所属
不明
  • 太字四駿四狗 / 1 1206年以降に任命された人物で、『元朝秘史』では千人隊長に数えられない
筆頭御家人
万人隊長・軍団長
五投下当主
駙馬・親衛隊
タンマチ長官
行省長官
書記官僚