ナターリア・アレクセーエヴナ

ナターリア・アレクセーエヴナ
Наталья Алексеевна
ロシア大公妃
聖エカテリーナ勲章(英語版)を佩用(1776年、ロスラン画)
在位 1773年 - 1776年

全名 ドイツ語名:ヴィルヘルミーネ・ルイーザ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Wilhelmine Luisa von Hessen-Darmstadt
出生 1755年6月25日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、プレンツラウ
死去 (1776-04-26) 1776年4月26日(20歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国サンクトペテルブルク
配偶者 ロシア大公パーヴェル
家名 ヘッセン=ダルムシュタット家
父親 ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世
母親 ヘンリエッテ・カロリーネ
宗教 正教
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ナターリア・アレクセーエヴナロシア語: Наталья Алексеевна, 1755年6月25日 - 1776年4月26日)は、ロシア皇帝パーヴェル1世の最初の妃。ただし、パーヴェルが皇帝に即位する前に薨去したため、皇后にはならなかった。

生涯

生い立ち

ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世とその妃ヘンリエッテ・カロリーネ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケンプファルツヴィッテルスバッハ家傍系出身)の第5子として、プレンツラウ(現在のブランデンブルク州の町)で生まれた。

ロシア大公妃

1773年10月10日、女帝エカチェリーナ2世の甥で、ツァレーヴィチであったパーヴェル大公と結婚した。結婚にあたっては正教に改宗し、ナターリア・アレクセーエヴナと改名した。

ナターリアは1776年4月にサンクトペテルブルクで第1子を死産し、自身も体調を崩して急逝した。

ギャラリー

  • 17歳頃(1772-73年頃画)
    17歳頃(1772-73年頃画)
  • 20歳頃(1776年、ロスラン画)
    20歳頃(1776年、ロスラン画)

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、ナターリア・アレクセーエヴナに関連するカテゴリがあります。
第1世代
第2世代
  • エカチェリーナ2世
第3世代
  • ナターリア・アレクセーエヴナ
  • マリア・フョードロヴナ
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第6世代
第7世代
第8世代
  • レオニーダ・バグラチオン=ムフランスカヤ(英語版)3
1正教会への改宗は行わなかった。
2アレクサンドル・ミハイロヴィチとの結婚により。
3ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフによって認定された。
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