ノースアメリカン

曖昧さ回避 航空会社の「ノースアメリカン航空」とは異なります。

ノースアメリカン・エイヴィエーションNorth American Aviation, Inc. )は、かつて存在したアメリカ合衆国の航空機メーカーである。1928年に設立され、1930年代から航空機の製造を行い、第二次世界大戦にB-25ミッチェルやP-51マスタング、戦後にはF-86セイバーなどのアメリカ軍において重要な役割を担った機体を製作した。1967年ロックウェルと合併してノースアメリカン・ロックウェルNorth American Rockwell Corporation )になった。1996年にノースアメリカンおよびロケットダイン部門を含むロックウェル・インターナショナルはボーイングに売却されている。

沿革

クレメント・キースが1928年12月6日、航空会社の株を売買する持株会社として、ノースアメリカンを設立した。1933年にはゼネラルモーターズが株式を取得。傘下のジェネラル・エイヴィエーション部門(General Aviation division )をノースアメリカンと合併させ、存続会社名をノースアメリカン(NAA)とした。ジェネラル・エイヴィエーション部門とは、 デイトン・ライト・カンパニー(Dayton Wright Company )とアントニー・フォッカーが米国移住後にオランダフォッカーの米国支社として設立したアトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカを合併させた部門だった。

1934年の航空郵便法で会社の形態を変える必要が生じたため、ダグラス社のジェームス・キンデルバーガーを雇って航空機生産事業に乗り出した。キンデルバーガーは会社をカリフォルニア州に移し、既存メーカーと競合しない練習機の生産をめざした。最初の機体GA-15観測機、GA-16練習機などを製作した。1940年に戦争が始まるとノースアメリカンも拡大し、ダラスやカンザスシティに工場を設立した。

T-6テキサン練習機は17,000機が生産され、様々な軍で運用された。B-25ミッチェル爆撃機はジミー・ドーリットルの指揮したドーリットル空襲で有名な機体である。P-51マスタング戦闘機はその高性能から、第2次大戦におけるアメリカの最高の戦闘機と評された。

戦後従業員数は91,000人から1946年には5,000人まで減少したが、ジェット爆撃機B-45トーネードなどの生産をおこなった。ジェネラルモーターズは1948年にノースアメリカンの株式を公開した。

F-86セイバーは海軍向けに開発したFJ-1フューリー戦闘機を再設計することによって、アメリカの戦闘機として最初に音速を突破した機体になった。またこの機体は朝鮮戦争ソビエト連邦製のMiG-15と闘った。このF-86は総計9000機以上生産された。

製品

航空機

ロックウェル OV-10 ブロンコ
XB-70 ヴァルキリー

(陸軍/空軍)

  • XB-21
  • B-25 ミッチェル
  • XB-28
  • B-45 トーネード
  • XB-70 ヴァルキリー
  • A-36 アパッチ
  • P-51 マスタング
  • P-64
  • F-82 ツインマスタング
  • F-86 セイバー
  • YF-93A
  • F-100 スーパー・セイバー
  • F-107
  • XF-108 レイピア
  • O-47
  • OV-10 ブロンコ
  • T-6 テキサン
  • T-28 トロージャン
  • T-39 セイバーライナー
  • X-10
  • X-15

(海軍)

  • AJ サヴェージ
  • XA2J スーパーサヴェージ
  • A-5 ビジランティ
  • FJ-1 フューリー 、 FJ-2/3 フューリー 、 FJ-4 フューリー
  • T-2 バックアイ

ミサイル

  • AGM-28 ハウンド・ドッグ
  • AGM-53
  • SM-64

関連

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ノースアメリカンに関連するメディアがあります。
  • North American Aviation history
  • Centennial of Flight page on North American
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