ハルハウス

20世紀初頭のハルハウス。1960年代半ばにイリノイ大学設立のため取り壊された
シカゴ、イリノイ大学のシカゴ校敷地内に保存されているハルハウスは、現在ハルハウス博物館として公開されている
ハルハウスの製靴作業風景。1918年
ハルハウスの体育クラブ。1918年

ハルハウス(Hull House)[1] は、1889年近代社会福祉の母といわれるジェーン・アダムズが、イリノイ州シカゴにエレン・ゲイツ・スターと共同で設立した慈善施設セツルメントハウス(隣保館ともいう)で、13もの施設にさまざまな部門を抱えるまでに発展し、当時世界最大規模だった[2]。建物は不動産業で成功したCharles Jerrold Hull (1820-1889) の元邸宅で、ハルハウスの名前もそれに由来する。

発展

ジェーン・アダムズは、このようなセツルメントをロンドンのトインビー・ホール(英語版)という先駆で見てきたことがあり、同様のものをアメリカにもと設立に踏み切った。彼女は、ここを拠点に平和運動、市民運動を展開し、ノーベル平和賞を受賞した。

その始まりは、近在に住む労働者階層の人たち、その殆どが移民でもあり、彼らに社会的、教育的な学習の機会を提供するというのが、第一の目的であった。もともとは、1856年に建てられた裕福な実業家の邸宅であったが、30年を経過した当時は、シカゴの中でももっとも貧しい地域に位置していた。

事業

文学、歴史、芸術などのさまざまな教室が設けられ、その他の授業も行われ、コンサートはだれが来ても無料で、その時々の話題についての聴講無料の講演も行われ、子どもや大人のためのクラブ活動もあった。子どものためには伝承遊びなどがコーチされた。その後、セツルメントは、さまざまな形で枝葉が広がり、貧困者のための慈善活動などのサービスも提供するようになった。

病気の子どものための栄養のあるものを与えるような調剤局もあったし、デイケアセンター公衆浴場、そしてホームレスのためのシェルターも設けられた。 セツルメントは次第に、市民運動のような形で発展し、市民や州、国のレベルでの法制度的な改革のための代弁者となっていった。彼女らが特に擁護したのは、児童就労者の問題や移民政策などである。

ハルハウスの女性たち

ここに常駐して活動した人たちには、次のような人たちがいる。[3]

  • イーディス・アボット(Edith Abbott)
  • グレイス・アボット(Grace Abbott)
  • ソフォニスバ・ブレッキンリッヂ(Sophonisba Breckinridge)
  • アリス・ハミルトン(Alice Hamilton)
  • フローレンス・ケリー(Florence Kelley)
  • メアリー・ケニー(Mary Kenney)
  • ジュリア・ラスロップ(Julia Lathrop)
  • メアリー・マクドゥエル(Mary McDowell)
  • アルジナ・スティーブンス(Alzina Stevens)

脚注

  1. ^ 静岡県下田市にある宿泊型フリースクール「ハルハウス」は、この名とは無関係。
  2. ^ 木原活信『J・アダムズの社会福祉実践思想の研究-ソーシャルワークの源流-』川島書店1998参照。
  3. ^ ポール・ケロッグは、このグループのことを「ハルシュタット通りの偉大な女性たち」(Great Ladies of Halsted Street)と呼んだ。

参考文献

木原活信『J・アダムズの社会福祉実践思想の研究-ソーシャルワークの源流-』川島書店1998

関連項目

外部リンク

  • Jane Adams Hull House Museum
  • セツルメント研究所
  • ヴァイオラ・スポーリン - ウェイバックマシン(2002年10月20日アーカイブ分)ハルハウスに感化されたソーシャルワーカー
  • ハルハウス『教育の米国』吉田熊次 著 (富山房, 1918)
  • ハルハウス『小学校長団の観たる米国の教育』東京市教育会 編 (佐藤出版部, 1920)
  • ハルハウス『欧米市政行脚』今村惟善 著 (都市研究会, 1926)
  • 米國の社會植民事業―ハルハウス『社会問題概論』安部磯雄 著 (早稲田大学出版部, 1928)
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