フェリペ・カルデロン

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はカルデロン第二姓(母方の姓)はイノホーサです。
フェリペ・カルデロン
Felipe Calderón

ダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会にて2009年1月30日

任期 2006年12月1日2012年11月30日

出生 (1962-08-18) 1962年8月18日(61歳)
メキシコの旗 メキシコミチョアカン州モレリア
政党 国民行動党(PAN)
配偶者 マルガリータ・ザヴァラ

フェリーペ・デ・ヘスス・カルデロン・イノホーサスペイン語: Felipe de Jesús Calderón Hinojosa, 1962年8月18日 - )は、メキシコ政治家。同国大統領(第56代)、国民行動党党首などを歴任した。

2006年7月2日の大統領選挙において、当初は当選は有力視されていなかったが、選挙直前にライバルである民主革命党のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールが自身の失言によって支持率が急落。激戦の末に勝利し、同年12月1日より大統領に就任した。

メキシコ麻薬戦争の遂行

2006年に就任以来、アメリカ合衆国の捜査当局と協調しながら、麻薬の密造・密輸組織(カルテル)の撲滅に全力を挙げている。密輸組織側は、強硬姿勢に対し実力行使で反撃しており、2007年以降数千人の死者を出す状態となっている[1]。 大統領側も行政や警察組織を総動員し、密売組織からの恐喝、癒着により行政機能しない場合には、警察幹部や州知事すらも逮捕するという不退転の姿勢で臨み、軍隊の投入も各都市で行われている[2]。アメリカとの共同作戦だけでも、2009年2月までに麻薬組織の幹部級を含めた約750人を逮捕、マネーロンダリングを試みた現金約5900万ドル、コカイン1万2000キロ、覚醒剤544キロ、MDMA130万錠などが押収されるという成果を収める一方[3]、軍や警察官の殺害が相次ぐほか、2009年8月には大統領暗殺計画が発覚[4]するなど自らの命を危険にさらす大きな代償も払っている。

ギャラリー

出典

  1. ^ メキシコ 泥沼「麻薬戦争」 クリントン動いた[リンク切れ] iza 2009年3月15日
  2. ^ メキシコ麻薬戦争、知事や警察署長を一斉検挙 Asahi.com 2009年5月27日
  3. ^ 米国やメキシコで麻薬の一斉取り締まり作戦、21か月で750人を逮捕 AFP 2009年2月26日
  4. ^ 逮捕の麻薬カルテル容疑者、大統領暗殺を計画[リンク切れ] CNN 2009年8月12日

関連項目

外部リンク

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公職
先代
ビセンテ・フォックス・ケサーダ
メキシコの旗 メキシコ合衆国大統領
第56代:2006 - 2012
次代
エンリケ・ペーニャ・ニエト
党職
先代
カルロス・カスティージョ・ペラサ(英語版)
国民行動党党首
第16代:1996 - 1999
次代
ルイス・フェリーペ・ブラーボ・メナ(英語版)
先代
ビセンテ・フォックス・ケサーダ
国民行動党大統領選候補者
2006
次代
ジョセフィーナ・バスケス・モタ(英語版)
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