フレッド・ペリー Fred Perry
フレッド・ペリー
基本情報 フルネーム Frederick John Perry 国籍 イギリス 出身地 イングランド・ストックポート 生年月日 (1909-05-18 ) 1909年 5月18日 没年月日 (1995-02-02 ) 1995年 2月2日 (85歳没) 死没地 オーストラリア・メルボルン 身長 183 センチメートル 利き手 右 バックハンド 片手打ち 殿堂入り 1975年 ツアー経歴 デビュー年 1936年 引退年 1956年 生涯獲得賞金 値なし 4大大会最高成績・シングルス 全豪 優勝 (1934) 全仏 優勝 (1935) 全英 優勝 (1934-1936) 全米 優勝 (1933・34・36) 優勝回数 8(豪1・仏1・英3・米3) 4大大会最高成績・ダブルス 全豪 優勝 (1934) 全仏 優勝 (1933) 全英 準優勝 (1932) 優勝回数 2(豪1・仏1) 4大大会最高成績・混合ダブルス 全仏 優勝 (1932) 全英 優勝 (1935・36) 全米 優勝 (1932) 優勝回数 4(仏1・英2・米1) 国別対抗戦最高成績 デビス杯 優勝(1933-36) キャリア自己最高ランキング シングルス 1位(1934) ■テンプレート ■プロジェクト テニス
フレッド・ペリー (Fred Perry , 1909年 5月18日 - 1995年 2月2日 [1] )は、イングランド ・ストックポート 出身の男子テニス 選手。フルネームは Frederick John Perry (フレデリック・ジョン・ペリー)。“イギリスのテニスの神様”として、今なお尊敬を集め続けている名選手である。4大大会でシングルス通算「8勝」を挙げた。1934年 から1936年 にかけて、地元のウィンブルドン選手権 で大会3連覇を達成した。
彼以降永らくイギリス人男子が優勝出来なかったためウィンブルドン現象 とまで言われるようになっていた。2013年、アンディ・マリー がウィンブルドンでイギリス人男子として実に77年ぶりの優勝となった。
キャリア ウィンブルドン選手権会場にあるフレッド・ペリー像 1929年 に第3回世界卓球選手権 ブダペスト 大会男子シングルスで優勝するなどペリーは最初は卓球 選手として名声があり、20歳の時にテニス に転向した。ペリーが手本にした選手は、フランス のアンリ・コシェ (1901年 - 1987年 )だった。やがてペリーはイギリスのテニス界の第一人者となり、1931年 から男子テニス国別対抗戦・デビスカップ のイギリス 代表となる。1933年 、ペリーはイギリスの「デイリー・テレグラフ 」紙の評論家の選考による世界ランキングで2位に入った。この年の全仏選手権準々決勝で、ペリーは日本 の佐藤次郎 (同ランキング3位)に敗れたことがある。
1933年 の全米選手権で4大大会に初優勝を果たした時から、ペリーの最盛期が始まる。1934年 には全豪選手権、ウィンブルドン選手権 、全米選手権の年間3冠を獲得し、この年からイギリス人選手としてウィンブルドン3連覇の偉業を樹立する。初優勝の時は、前年度の世界ランキング1位だったジャック・クロフォード (オーストラリア 、1908年 - 1991年 )を 6-3, 6-0, 7-5 で破り、1935年 と1936年 は2年連続でゴットフリート・フォン・クラム (ドイツ 、1909年 - 1976年 )を圧倒した。
1935年 の全仏選手権で初優勝を飾ったペリーは、男子テニス選手として初めて4大大会のシングルス・タイトルをすべて獲得した選手になった。これは男子テニス史上初の「キャリア・グランドスラム」達成を意味する。正真正銘の「年間グランドスラム」は、3年後の1938年 にドン・バッジ (アメリカ 、1915年 - 2000年 )によって実現された。
1936年 の全米選手権優勝。グランドスラム優勝8回はリチャード・シアーズ 、ウィリアム・レンショー 、ウィリアム・ラーンド を抜いてビル・チルデン に次ぐ歴代2位記録となった(当時)。 その後ペリーはプロテニス選手に転向する[1] 。1938年 にペリーはイギリス を離れ、アメリカ 市民権を取得した。第2次世界大戦 の期間中はアメリカ空軍 に勤務し、終戦後は実業家として生計を立てた。 ペリーは長年にわたってウィンブルドン選手権のラジオ放送解説を担当し、1975年 に国際テニス殿堂 入りを果たす。ウィンブルドン選手権 の会場内にあるペリーの銅像は、1984年 に建立された。1987年7月4日にペリーはワシントン・アンド・リー大学 から名誉法学博士号を授与された[2] 。彼は1941年と1947年にワシントン・アンド・リー大学テニスチームのコーチをしていたことがある[3] 。
晩年はオーストラリア に定住し、1995年 2月2日 にオーストラリアのメルボルン の病院で逝去、85歳[1] 。1月末、同市内のホテルに滞在中にろっ骨を折り入院していた[1] 。
ファッションブランド フレッドペリーのポロシャツ 1952年 、ペリーはロンドン で「フレッド・ペリー・スポーツウェア社」を設立した。このブランドは月桂樹 のロゴで広く知られ、テニスウェアとしてだけではなく、1960年代にはモッズ と呼ばれた若者にも好んで着られており、現在でも服飾ブランドとしての地位を固めている。
2020年9月、フレッド・ペリーの黒と黄色のポロシャツがアメリカ合衆国 の極右グループ「プラウド・ボーイズ 」の「非公式な制服」となったことを受けて、フレッド・ペリー社は同アイテムの北米全域での販売を停止し[4] [5] [6] 、メンバーらには着るのをやめるよう呼びかけた。
卓球世界選手権 獲得メダル 卓球 イングランド 世界卓球選手権 銀 1928 ストックホルム 男子ダブルス 銅 1928 ストックホルム 混合ダブルス 銅 1928 ストックホルム 男子団体 金 1929 ブダペスト 男子シングルス 銅 1929 ブダペスト 男子ダブルス 銅 1929 ブダペスト 男子団体
金メダル 1個; 銀メダル 1個; 銅メダル 4個獲得 1928年ストックホルム世界卓球選手権: 男子ダブルス銀メダル、混合ダブルス・男子団体銅メダル 1929年ブダペスト世界卓球選手権: 男子シングルス金メダル、男子ダブルス・男子団体銅メダル 記録 グランドスラム大会を1セットも落とさず「3連覇」 1934年から1936年のウィンブルドンで達成。 グランドスラムで連続セット獲得「62連続」 全米オープンで55セット連続勝利 1933年から1935年 グランドスラム大会で29連勝 1969–1970。歴代2位記録。 4大大会優勝 全豪選手権 男子シングルス・男子ダブルス:1勝(1934年) 全仏選手権 男子シングルス:1勝(1935年)/男子ダブルス:1勝(1933年)/混合ダブルス:1勝(1932年) ウィンブルドン選手権 男子シングルス:3勝(1934年-1936年)/混合ダブルス:2勝(1935年・1936年) [大会3連覇] 全米選手権 男子シングルス:3勝(1933年・1934年・1936年)/混合ダブルス:1勝(1932年) 年 大会 対戦相手 試合結果 1933年 全米選手権 ジャック・クロフォード 6-3, 11-13, 4-6, 6-0, 6-1 1934年 全豪選手権 ジャック・クロフォード 6-3, 7-5, 6-1 1934年 ウィンブルドン選手権 ジャック・クロフォード 6-3, 6-0, 7-5 1934年 全米選手権 ウィルマー・アリソン 6-4, 6-3, 1-6, 8-6 1935年 全仏選手権 ゴットフリート・フォン・クラム 6-3, 3-6, 6-1, 6-3 1935年 ウィンブルドン選手権 ゴットフリート・フォン・クラム 6-2, 6-4, 6-4 1936年 ウィンブルドン選手権 ゴットフリート・フォン・クラム 6-1, 6-1, 6-0 1936年 全米選手権 ドン・バッジ 2-6, 6-2, 8-6, 1-6, 10-8
4大大会シングルス成績 略語の説明 W F SF QF #R RR Q# LQ A Z# PO G S B NMS P NH
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 '29 '30 '31 '32 '33 '34 '35 '36 W-L 勝率 グランドスラム 101–15 87.07 全豪 A A A A A W F A 9–1 90 全仏 A A 4R QF QF QF W F 22–5 81.48 ウィンブルドン 3R 4R SF QF 2R W W W 36–5 87.8 全米 A 4R SF 4R W W SF W 34–4 89.47
出典 ^ a b c d 朝日新聞大阪版夕刊 1995年2月3日 13面。 ^ “Wayback Machine”. web.archive.org (2014年5月19日). 2022年12月6日 閲覧。 ^ Ring-tum Phi, Washington and Lee student newspaper, and Calyx, Washington and Lee student yearbook ^ “Fred Perry stops selling polo shirt after it becomes associated with far-right group”. Sky News . (2020年9月28日). https://news.sky.com/story/fred-perry-stops-selling-polo-shirt-after-it-becomes-associated-with-far-right-group-12084253 2020年9月28日 閲覧。 ^ Miller-Idriss, Cynthia (2019年8月29日). “Why does the far-right love Fred Perry? Mainstream fashion is its new camouflage”. The Guardian . https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/aug/29/far-right-fred-perry-mainstream-fashion-camouflage-brands 2018年9月28日 閲覧。 ^ Woolf, Jake (2017年7月11日). “Fred Perry Wants Alt-Right Bros to Stop Wearing Their Polos”. GQ Magazine . https://www.gq.com/story/fred-perry-wants-alt-right-bros-to-stop-wearing-their-polos 2020年9月28日 閲覧。 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、フレッド・ペリー に関連するカテゴリがあります。
フレッド・ペリー - 国際テニス殿堂 のプロフィール (英語) フレッド・ペリー - デビスカップ のプロフィール (英語) フレッド・ペリー - 国際テニス連盟 フレッド・ペリー公式サイト (英語) フレッドペリー日本公式サイト (日本語) フレッド・ペリー ITTF データベース (英語)
フレッド・ペリー 獲得タイトル 全豪オープン(オープン化以後)男単 || 女単 | 男複 • 女複 • 混複
全仏オープン(オープン化以後)男単 || 女単 | 男複 | 女複 | 混複
ウィンブルドン(1877–1967)男子シングルス優勝者
全米オープン(オープン化以後)男単 || 女単 | 男複 • 女複 • 混複
全豪オープン(オープン化以後)男複 || 男単 • 女単 | 女複 • 混複
全仏オープン(オープン化以後)男複 || 男単 | 女単 | 女複 | 混複
全仏オープン(オープン化以後)混複 || 男単 | 女単 | 男複 | 女複
ウィンブルドン(1913–1967)混合ダブルス優勝者
10年代 20年代 30年代 40年代 50年代 60年代
全米オープン(オープン化以後)混複 || 男単 • 女単 | 男複 • 女複
典拠管理データベース
全般 国立図書館 その他