第48回世界卓球選手権個人戦

第48回世界卓球選手権個人戦(だい48かいせかいたっきゅうせんしゅけんこじんせん)は2005年4月30日から5月6日まで、中国上海上海体育館において行われた。

大会では男子シングルス、男子ダブルス、女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスの5種目が行われたが、5種目全てで中国選手が優勝し、卓球王国・中国の存在感は他を圧倒するものがあった。特に中国の女子選手の強さは圧倒的であった。また中国代表以外で上位に勝ち上がった選手にも中国系選手である者が多かった。その中で男子では、ドイツ大韓民国なども一定の存在感を示した。

また、日本からは福原愛をはじめとして総勢10名の選手が参加した。日中関係の悪化を背景に上海でも発生した過激な反日デモの影響が懸念されたが、特に問題はなかった。また、中国のスーパーリーグに2005年から参加する福原愛選手は、中国国内で好意的な報道が大々的になされ、福原選手の中国における人気の高さをうかがわせた。

結果

日本人選手の成績

男子シングルス
女子シングルス
男子ダブルス
  • 坂本・岸川組 2回戦で張ギョク(31位)、梁柱恩(20位)組に敗れベスト32。
  • 吉田・水谷組 1回戦で何志文(63位)、カルロス・マチャド(196位)組に敗退。
女子ダブルス
  • 梅村・金沢組 3回戦で白楊(29位)、郭焱(8位)組に敗退。
  • 福原・藤沼組 4回戦で王楠(2位)、張怡寧(1位)組に敗れベスト8。
混合ダブルス
  • 坂本・福原組 3回戦で劉国正(18位)、白楊(29位)組に敗退。
  • 水谷・梅村組 2回戦で柳承敏(6位)、金恵賢(132位)組に敗退。
  • 吉田・金沢組 1回戦でソルタン・フェイヤー=コーナート(43位)、ニコレ・シュトルーゼ(34位)組に敗退。
  • 岸川・藤沼組 日本人選手として混合ダブルスでは26年ぶりに準々決勝に進んだが閻森(60位)、郭焱(8位)組に敗れてベスト8。
  • 高木和・平野組 2回戦で劉国正(18位)、白楊(29位)組に敗退。

順位は世界ランキング

日本における放送

テレビ東京系列で放送がされた。解説を前原正浩、実況を植草朋樹、現地レポートを武田美保、進行を大橋未歩が務めた。

福原愛選手などの女子の試合をメインに生中継・深夜時間帯にハイライトなどをメインで放送していた。男子については小型カメラで撮影したものをダイジェストで放送する措置を取っていた[1]

脚注

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  1. ^ “世界卓球選手権:テレビ東京”. www.tv-tokyo.co.jp. 2024年1月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

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