マルセリーニョ・カリオカ

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はペレイラ、第二姓(父方の姓)はスルシンです。
マルセリーニョ・カリオカ
名前
本名 マルセロ・ペレイラ・スルシン
Marcelo Pereira Surcin
ラテン文字 MARCELINHO CARIOCA
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1971-02-01) 1971年2月1日(53歳)
出身地 リオデジャネイロ市
身長 167cm
体重 63kg
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 ECサント・アンドレ
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足
代表歴
1994-2001 ブラジルの旗 ブラジル 3 (2)
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

マルセリーニョ・カリオカ(Marcelinho Carioca)ことマルセロ・ペレイラ・スルシン(Marcelo Pereira Surcin, 1971年2月1日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。プレスキックの精度が非常に高く「天使の足」と言われていた[1]

経歴

1997-98シーズンに移籍したスペインバレンシアCFでは活躍できず、1998年1月にFPF(サンパウロ州サッカー連盟)が700万ドル(9億3000万円)でパスを買い取った。 FPFは電話投票を実施し、サンパウロ州内のビッグ4(サンパウロサントスコリンチャンスパルメイラス)のどこにマルセリーニョを移籍させるかをサポーターに決めさせた。この投票の結果により、古巣であるコリンチャンスへの移籍が決まった。2000年には第1回FIFA クラブワールドカップ決勝でヴァスコ・ダ・ガマをPK戦の末に破り優勝を果たすなど、コリンチャンスファンから人気を集めていた[1]

2002年にはガンバ大阪に移籍、背番号は7番[2]。5月3日のリーグカップ、ジェフユナイテッド市原戦で移籍後初ゴールを決め、7月24日のサンフレッチェ広島戦でJリーグでの初ゴールを決めた[3]。期待されての入団であったが、Jリーグでは21試合3ゴール、リーグカップでは6試合4ゴールの成績に終わった[3]

リベルタドーレスカップでは通算49試合出場18ゴールの成績を残した[4]

人物・エピソード

  • 足のサイズは23.5cmとかなり小さい。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1988 フラメンゴ セリエA 5 0
1989 8 1
1990 10 0
1991 16 2
1992 8 1
1993 19 5
1994 コリンチャンス 24 8
1995 17 4
1996 12 1
1997
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1997-98 バレンシア プリメーラ 5 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1998 コリンチャンス セリエA 28 19
1999 19 13
2000 15 4
2001 サントス 15 5
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 G大阪 7 J1 21 3 6 4 0 0 27 7
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2003 ヴァスコ・ダ・ガマ セリエA 0 0
サウジアラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2003-04 アル・ナスル プレミア 6 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2004 ヴァスコ・ダ・ガマ セリエA 1 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2004-05 アジャクシオ リーグ・アン 10 2
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2005 ブラジリエンセ 26 9
2006 コリンチャンス 5 0
2007 サント・アンドレ
2008
2009
通算 ブラジル セリエA
スペイン プリメーラ 5 0
日本 J1 21 3 6 4 0 0 27 7
サウジアラビア プレミア 6 0
フランス リーグ・アン 10 2
総通算

脚注

  1. ^ a b “今季全ゴールがFKのウィリアン、お手本は元ガンバ大阪のあの人だった!”. qoly.jp. https://qoly.jp/2015/11/26/chelsea-willian-loved-marcelinho-carioca?part=2 2020年4月17日閲覧。 
  2. ^ “ガンバ大阪に見られるヨーロッパサッカーの背番号”. spaia.jp. https://spaia.jp/column/soccer/jleague/5477 2020年4月17日閲覧。 
  3. ^ a b “マルセリーニョ”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=6786 2020年4月17日閲覧。 
  4. ^ “元Jリーガーが1位に! 南米王者決定戦「ブラジル出身選手得点ランキング」を現地紙集計”. www.football-zone.net. https://www.football-zone.net/archives/258630 2020年4月24日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • マルセリーニョ・カリオカ - National-Football-Teams.com (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - Soccerway.com (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - FootballDatabase.eu (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - WorldFootball.net (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - FIFA主催大会成績 (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - J.League Data Siteによる選手データEdit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - レキップ (フランス語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - TheFinalBall.com (英語)Edit on Wikidata
  • マルセリーニョ・カリオカ - BDFutbol.com (英語)Edit on Wikidata
  • 公式ウェブサイト (ポルトガル語)
 
タイトル・受賞歴
南米年間ベストイレブン 1998
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
※1970年、1972年は賞は授与されなかったが、最も良い評価を受けたのは1970年はレジェス、1972年はフィゲロアであった。
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ボーラ・ジ・オーロ - ボーラ・ジ・プラッタ(GK - DF - MF - FW)
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ボーラ・ジ・オーロ - ボーラ・ジ・プラッタ(GK - DF - MF - FW)
U-20ブラジル代表 - 1989 FIFAワールドユース選手権 第3位
ブラジルの旗
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  • VIAF