夜明けの門

座標: 北緯54度40分28秒 東経25度17分22秒 / 北緯54.67444度 東経25.28944度 / 54.67444; 25.28944

夜明けの門
旧市街地の内側から見た夜明けの門

夜明けの門(よあけのもん、リトアニア語: Aušros Vartaiポーランド語: Ostra Bramaベラルーシ語: Вострая Брама)は、1503年から1522年にかけてリトアニア大公国の首都ヴィリニュスに作られた、城壁の一部である[1]

概要

元々は、ヴィリニュスの南にあるクレヴァ (Krėva) 城(現・ベラルーシ領)およびメディニンカイ (Medininkai) 城に続くであったことから「クレヴァ門」や「メディニンカイ門」と呼ばれていた。「夜明けの門」と呼ばれるようになったのは20世紀になってからのことである。街に9つあった門のうち現存しているのはこの門だけであり[2]、他の8つの門はすべて18世紀末に当局の指示によって壊された。

内部のチャペルの様子(1864年)

16世紀、攻撃から街を守り旅行者を祝福することを目的に、宗教的なモニュメントが門の内部に作られることとなった。門の中のチャペルには聖マリアの肖像があり、奇跡を起こすと言われていた[3]。数世紀にわたってこの肖像は街のシンボルの1つであり続け、カトリック教徒と正教徒の双方から崇敬されてきた。神への贈り物が数千個壁に飾られており、海外からも多くの巡礼者が祈りに来る。またミサリトアニア語ポーランド語で行われる。

夜明けの門が描かれた10リタス記念金貨

1993年9月4日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が夜明けの門の中にあるチャペルでロザリオの祈りを捧げた。

ギャラリー

  • 南側(旧市街の外側)から見た夜明けの門
    南側(旧市街の外側)から見た夜明けの門
  • 南側の様子(1845年)
    南側の様子(1845年)
  • 夜明けの門の中にあるチャペル(2005年)
    夜明けの門の中にあるチャペル(2005年)
  • 聖母マリアの肖像画
    聖母マリアの肖像画

出典

  1. ^ (リトアニア語) Jurginis, Juozas (1987). Aušros vartai. Pokalbiai su tikinčiuoju (2nd ed.). Vilnius: Mintis. pp. 3–37. OCLC 19353894. オリジナルの2014年11月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141109154732/http://www.laborunion.lt/memo/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=27 
  2. ^ 『地球の歩き方 2017〜18 バルトの国々』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、197頁。ISBN 978-4-478-06042-1。 
  3. ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年4月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

  • "Aušros Vartai." リトアニア・カトリック教会ホームページ.
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