姚安府

姚安府(ようあんふ)は、中国にかつて存在した府。明代から清代にかけて、現在の雲南省姚安県大姚県一帯に設置された。

概要

1257年憲宗7年)、モンゴル帝国により弄棟城に統矢千戸が置かれた。1275年(至元12年)、元により弄棟城に姚州が置かれた。1328年(天暦元年)、姚州に姚安路が置かれた。姚安路は雲南等処行中書省に属し、姚州に属する大姚県の1州1県を管轄した[1]

1382年洪武15年)、明により姚安路は姚安府と改められた。1394年(洪武27年)、姚安府は姚安軍民府と改められた。姚安軍民府は雲南省に属し、姚州に属する大姚県の1州1県を管轄した[2]

1770年乾隆35年)、清により姚安軍民府は廃止されたが、姚州と大姚県は楚雄府に転属した[3]

脚注

  1. ^ 元史』地理志四
  2. ^ 明史』地理志七
  3. ^ 清史稿』地理志二十一
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