山田銀蔵
山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 1978年12月25日[1])は、日本のクロスカントリースキー選手。青森県南津軽郡大鰐町出身。1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック日本代表。
来歴
大鰐尋常高等小学校高等科を卒業後、青森営林局(青森林友)に勤務する[2]。
1934年の第12回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)で優勝。翌年の同大会32kmリレーでは、山田伸三らとともに青森林友を優勝に導いた。
1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で56位、4x10kmリレーで12位だった。
現役引退後は、地元青森で後進の育成に尽くした[1]。 1978年死去、享年63歳[1]。
出典
- ^ a b c 『朝日新聞』1978年12月26日東京朝刊19頁「訃報」
- ^ 『朝日新聞』1935年2月13日 東京朝刊3頁「スキー代表8選手の横顔」
参考文献
外部リンク
- 山田銀蔵 - Olympedia(英語)
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