悰子内親王

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悰子内親王(そうしないしんのう、康和元年(1099年) - 応保2年11月3日(1162年12月10日))は、平安時代後期(院政期)の女性。堀河天皇の第一皇女で、母は康資王女の典侍仁子女王(源仁子とも)。大宮斎院と号した。

来歴

保安4年(1123年)8月28日に賀茂斎院に卜定され、天治元年(1124年)10月25日初斎院、天治2年(1125年)4月19日本院に入った。大治元年(1126年)7月25日、生母の喪により退下。足掛け二年間務めた。

応保2年(1162年)11月3日に64歳で薨去した。

参考資料

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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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  • 光子内親王 (光厳天皇皇女)
  • 治子内親王
  • 見子内親王
  • 珪子内親王
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