映像京都

映像京都(えいぞうきょうと)は、かつて存在した映画製作テレビ制作プロダクション代表取締役西岡善信

略歴・概要

1971年に大映倒産し、当時収録が始まったばかりのテレビドラマ木枯し紋次郎」の制作を中止させないため、翌1972年市川崑の提唱によって当時大映京都撮影所に所属していた俳優、製作・美術・技術各スタッフを中心に発足。三隅研次池広一夫森田富士郎森一生安田公義太田昭和黒田義之大洲斉らが参加していた。

大映京都撮影所の閉鎖後は松竹京都映画の構内に事務所を間借りし、作品契約の形態で、監督・プロデューサーを含む約60人のスタッフを抱えていたが、西岡の高齢や時代劇製作の減少を理由に2010年8月31日をもって解散した[1]。なお、解散後の作品の著作権表記(保有)は日本映画放送株式会社となっている。

その後、2011年に当時の中堅・若手スタッフらによって、事実上の映像京都の後継である「株式会社京都組」が設立された。

おもなフィルモグラフィ

テレビドラマ

制作協力も含む

劇場映画

  • 竜馬暗殺(1974年、日本ATG)- 協力
  • 金閣寺(1976年) - 製作(たかばやしよういちプロ=映像京都=ATG)
  • 愛しき日々よ(1984年) - 製作(サンレニティ=映像京都)
  • 薄化粧(1985年)- 製作(松竹=五社プロ=映像京都)
  • 十手舞(1986年)- 製作(松竹=五社プロ=映像京都)
  • 浪人街(1990年)- 製作協力
  • 御法度(1999年)- 製作協力
  • どら平太(2000年)- 製作協力
  • かあちゃん(2001年) - 製作(映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)
  • 最後の忠臣蔵(2010年)

主なスタッフ

出典・脚注

  1. ^ “西岡善信さん率いて38年…「映像京都」が解散”. スポニチAnnexウェブ魚拓によるキャッシュ) (2010年8月31日). 2013年10月31日閲覧。

外部リンク

  • 株式会社京都組
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