淀橋

曖昧さ回避 この項目では、神田川に架かる青梅街道の橋およびこれに由来する同名の旧町丁について説明しています。
淀橋
2009年の様子
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都新宿区 - 中野区
交差物件 神田川
座標 北緯35度41分47.6秒 東経139度41分12.5秒 / 北緯35.696556度 東経139.686806度 / 35.696556; 139.686806
関連項目
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新宿駅(1925年)
1960年頃の淀橋浄水場新宿駅

淀橋(よどばし)は、東京都新宿区中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。および東側にある交差点の名称、現在の新宿駅西口の一帯(新宿区西新宿)を指す地域の旧称でもある。

元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発(新宿副都心計画)により超高層ビルが林立するオフィス街へと発展した。1990年、東京都庁千代田区丸の内からこの地に移転し、現在では副都心新都心)と呼ばれる。

1932年に発足した旧・淀橋区には、現在の新宿駅東口一帯、および大久保から落合にかけての一帯が含まれる。

名称

淀橋(橋の名称)はかつて姿見ずの橋面影橋などと呼ばれていたが[1]、「淀橋」となった理由にはさまざまな説がある。

  • 「姿見ずの橋」は中野長者伝説から来たもので[2]花嫁はこの橋を渡ると行方不明になるという言い伝えがあった。[要出典]
    • 姿見ずの橋で休憩していた徳川家光により、川の流れが緩やかでよどんで見られたので淀橋と名付けられた[2]
    • 放鷹した際に姿見ずの橋を通った徳川家光(徳川吉宗説もある)が、橋の名前の由来が不吉であることを知り[要出典]、風景が京都淀川に似ていたことから淀橋と改名した[1]
    • 豊島郡と多摩郡の境界にあり[1]、両郡の余戸をここに移住させてできた村なので[要出典]、ここに架かる橋を「余戸橋」と呼ぶようになり[1]さらに淀橋となった。[要出典]
    • 柏木中野角筈、本郷の4つの村(4戸)の境にあるため「四戸橋」となり、これが淀橋に変化した。[要出典]

地理

地形

神田川は、杉並区から中野区に入ると善福寺川と合流、東進した後、長者橋の辺りから急カーブを描き、北東へと向きを変える(このカーブの外側の台地は淀橋台と呼ばれる)。また神田川が中野区と新宿区の区境となる。長者橋から600mほど下流に淀橋がかかっている。

新宿から西進してきた青梅街道は西新宿駅付近から成子坂を下る。成子坂下交差点を過ぎると新宿税務署通りと合流する。この地点が淀橋交差点である。この先が淀橋で、橋を渡り中野坂を上ると中野坂上となる。

神田川の両岸は遊歩道となっているが、淀橋で中断している。歩き続けるには、迂回して横断歩道を渡る必要がある。

場所

直近の住居表示は以下の通り。

  • 北東(下流・右岸) - 新宿区北新宿2-22-13
  • 南東(上流・右岸) - 新宿区西新宿5-1(淀橋さくら公園)
  • 北西(下流・左岸) - 中野区中央1-1-1
  • 南西(上流・左岸) - 中野区本町1-13-18
  • 北東(下流・右岸)
    北東(下流・右岸)
  • 南東(上流・右岸)
    南東(上流・右岸)
  • 南西(上流・左岸)
    南西(上流・左岸)
  • 北西(下流・左岸)
    北西(下流・左岸)
  • 北西(2011年)
    北西(2011年)
  • 橋から北側を見る(2023年3月)
    橋から北側を見る(2023年3月)
  • 南東側直近には淀橋さくら公園がある。
    南東側直近には淀橋さくら公園がある。
  • 淀橋交差点(東から西を見る)
    淀橋交差点(東から西を見る)

淀橋地域

沿革

  • 1889年(明治22年)5月 - 市制町村制に先立ち、南豊島郡柏木村・角筈村・内藤新宿添野町のうち二番地が合併して、南豊島郡淀橋町となる[3]。また、これに隣接して大字柏木字淀橋姿(これで「よどばし」と読む)も同時期に存在した。
  • 1896年(明治29年) - 南豊島郡が廃止され、豊多摩郡となる[4]。淀橋町には豊多摩郡役所が置かれた[5]
  • 1922年(大正11年)12月11日 - 西武軌道の角筈(新宿駅西口) - 淀橋間が開通[6]
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町が合併して淀橋区となり、東京市の区として発足した[7]。大字角筈のうち以下の字(淀橋・本村・砂利場・二軒家前・長町・東田・豊水・鷹場・谷中前)の区域が淀橋区淀橋となる。
  • 1947年(昭和22年)3月15日 - 淀橋区が、四谷区牛込区と合併して新宿区となる[8]。新宿区淀橋として地名が存続。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 新宿区淀橋の名称が住居表示の実施により消滅、西新宿五丁目、西新宿六丁目(公園通り西側)、西新宿二丁目と西新宿四丁目(それぞれ一部)になる。

主な施設

旧・淀橋町に含まれるもの

旧・淀橋区に含まれるもの

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 江戸名所図会 1927, p. 485.
  2. ^ a b 淀橋市場のご紹介 - 東京都中央卸売市場
  3. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, pp. 116–117.
  4. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 117.
  5. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 165.
  6. ^ 一般国道20号と地域の歴史 - 東京国道事務所
  7. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, pp. 166–167.
  8. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 226.
  9. ^ 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 152.

参考文献

  • 斎藤長秋 編「巻之四 天璣之部 淀橋」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、480-481,485頁。NDLJP:1174144/245。 
  • 新修新宿区史編集委員会 編『新修新宿区史』東京都新宿区役所、1967年3月。NDLJP:3002679。 (要登録)

関連項目

外部リンク

  • 大久保特別出張所
  • 戸塚特別出張所
  • 落合第一特別出張所
  • 落合第二特別出張所
  • 柏木特別出張所
  • 角筈特別出張所
神田川の橋

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