紀元前7世紀

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前8世紀 - 紀元前7世紀 - 前6世紀
アッシリアの世界帝国。強力な軍事力と過酷な統治体制でアッシリアは最初の「世界帝国」を樹立した。画像は都ニネヴェの北宮殿を飾っていたアッシリア王アッシュールバニパルの「獅子狩り(英語版)」浮き彫り(ロンドン大英博物館蔵)。
ヌビアのピラミッド第25王朝の崩壊とともにエジプトを離れ故地へと南下したヌビア人はこの地に幾つものピラミッドを造営した。
南アラビア文字。この時代のアラビア半島イエメンにはサバ王国があり、アッシリアとも交流があったことが判明している。画像はセム系サバ語を南アラビア文字で記録した月神アルマカへの奉納文(ルーヴル美術館蔵)。
スパルタ第二次メッセニア戦争メッセニア人に勝利したことでスパルタは厳しい軍律を定める国民皆兵の社会を確立した。画像は現在のスパルタで、前景に古代の遺跡を、中景に新市街スパルティを、後景にタイゲトス山を望むことができる。
騎馬民族スキタイ。スキタイはユーラシア中央部に拠点を持ち交易や略奪を通じてオリエント諸国に大きな影響を与えた。画像はアゼルバイジャンミンゲチェヴィルで発見された黄金製動物意匠のベルトの留め金。
ハルシュタット文化。ヨーロッパは青銅器時代から鉄器時代に移行しつつあった。画像はオーストリア南東部の墳墓で発見された青銅製の「ストレットヴェクの祭式馬車(英語版)」で女性像を中心に多くの人物が置かれている(グラーツのヨアネウム博物館蔵)。
神武天皇。『日本書紀』『古事記』の神武東征の記録によると日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位し初代の天皇になったとされる。画像は月岡芳年『大日本名将鑑』の金の鵄(とび)を従えて敵を圧倒する神武天皇。
道臣命

(きげんぜんななせいき、きげんぜんしちせいき)は、西暦による紀元前700年から紀元前601年までの100年間を指す世紀

出来事

紀元前700年代

詳細は「紀元前700年代」を参照
  • 紀元前700年頃
    • ギリシアで東方様式期(英語版)から初期アルカイック期への移行。
    • キプロス島北西アギアイリニ神域で発見された2000体の男性奉献像(ニコシア・キプロス考古学博物館(ブルガリア語版)蔵)が作られる。
    • ユダ王国ヒゼキヤ王により、ギホンの泉からシロアム池に流れる地下水路が作られる。
    • エチオピア最古のイェーハ(英語版)神殿が建立される。
    • ドイツ北部でヤストルフ文化(ヤストルフ期)が成立する( - 紀元前400年頃)。
    • シベリア南部ミヌシンスク盆地を中心にタガール文化が成立する( - 紀元前300年頃)。
      • この地は当時ユーラシア大陸最大の青銅器の産地であり、大規模な墳丘墓(クルガン)が発見されている。
    • メキシコのオルメカ文化の影響を受けチアパデコルソ(英語版)を中心とするソケ文化が成立する。
    • メキシコ南西部のゲレロ州バルサス川(英語版)流域でメスカラ文化(英語版)が成立する( - 紀元前200年頃)。

紀元前690年代

詳細は「紀元前690年代」を参照

紀元前680年代

詳細は「紀元前680年代」を参照
  • 紀元前689年 - アッシリア王センナケリブのバビロニア遠征。バビロンは陥落しアッシリアの直接支配下におかれる。
  • 紀元前687年頃 - リュディア王カンダウレスを倒したギュゲス(英語版)が王となり、メルムナデス朝(英語版)が成立。
  • 紀元前685年 - 斉の桓公が君主となり、管仲を宰相に迎える。
  • 紀元前685年頃 - ギリシアのメガラ人により植民市カルケドンが建設される。
  • 紀元前683年 - アテナイのアルコンの任期が10年から1年に限定され、翌年クレオンがその任期で職務に就く。
  • 紀元前681年- アッシリア王センナケリブが暗殺される。王位継承争いを制した王子エサルハドンが即位。

紀元前670年代

詳細は「紀元前670年代」を参照
  • 紀元前679年 - 斉の桓公による鄄の会盟。
  • 紀元前677年
    • 姫称が晋を再統一し、晋の武公となる。
    • の徳公が平陽から雍城に都を遷す。
  • 紀元前673年 - トゥッルス・ホスティリウスが第3代ローマ王に選出される。
  • 紀元前671年 - アッシリア王エサルハドンのエジプト遠征。
    • メンフィス陥落によりエジプト王タハルカ(英語版)テーベに逃亡。
    • この時期アッシリアの領土は最大となり、オリエント世界の統一が達成される。
  • 紀元前670年頃

紀元前660年代

詳細は「紀元前660年代」を参照
  • 紀元前669年 - ヒュシアイの戦いでアルゴス僭主フェイドンがスパルタに勝利し覇権を握る。
  • 紀元前668年 - アッシリア王アッシュールバニパルの即位。
  • 紀元前667年頃
  • 紀元前665年
    • アッシュールバニパル王が、ルッディ王グッグを救援するためギミライを攻撃する。
      • 「ルッディ王グッグ」は、歴史家ヘロドトスの記録した「リディアギュゲス (リュディア)(英語版) 」に相当し、「ギミライ」は「キンメリア人」に相当すると推定されている。
  • 紀元前664年
  • 紀元前663年
    • アッシリア王アッシュールバニパルのエジプト遠征。
      • 再起を図ったエジプト第25王朝のタヌトアメンはテーベ陥落によりヌビアに逃亡。第26王朝の支配が確定。
    • 斉の桓公がを救援するため、山戎を征伐し、孤竹国を滅ぼす。
  • 紀元前660年
    • 熒沢の戦いで、の懿公が翟(狄)に敗死、都の朝歌が略奪され衛は一時滅亡。
    • 初代神武天皇即位、日本建国。辛酉年、春正月、庚辰の朔日の日、天皇橿原宮にあまつひつぎしろしめし、天皇の元年とす(『日本書紀』)。
  • 紀元前660年頃 - マンナエ王国がアッシリアに敗北し衰退に向かう。
    • イランのクルディスタン地方ウルミア湖沿いのジビエ(遺跡)(英語版)で発見された「ジビエの遺宝(英語版)」はこの王国のものか。

紀元前650年代

詳細は「紀元前650年代」を参照

紀元前640年代

詳細は「紀元前640年代」を参照
  • 紀元前647年 - アッシリア王アッシュールバニパルのエラム遠征。スサの戦いでエラムの首都スサが陥落し、破壊される。
  • 紀元前645年
    • 斉の宰相である管仲が死去。
    • 秦の穆公と晋の恵公が激突。秦が大勝し晋の恵公を捕虜とする(韓原の戦い)。
  • 紀元前643年 - 斉の桓公が死去し、斉の覇権は終わる。
  • 紀元前640年頃

紀元前630年代

詳細は「紀元前630年代」を参照
  • 紀元前639年 - 宋の襄公による鹿上の会盟・盂の会盟。
  • 紀元前638年 - 宋の襄公と楚の成王が泓水(現:河南省柘城県)にて激突し、楚が大勝する(泓水の戦い)。
  • 紀元前636年 - 重耳が亡命19年の後即位し、晋の文公となる。
  • 紀元前635年 - エジプト王プサメティコス1世アシュドッドを陥落させる(英語版)
  • 紀元前632年 - 文公が率いる晋と楚が城濮(現:山東省西部の濮県の南)にて激突し、晋が大勝する(城濮の戦い)。
    • この勝利により晋の文公は践土の会盟を行い覇者となる。
  • 紀元前630年頃
    • キュロン(英語版)アテナイアクロポリスを占拠し僭主の地位を得ようとするが失敗し殺害される。
      • キュロン殺害を促したメガクレスとアルクマイオン一族は追放され、これが原因でアテナイとメガラの間で戦争が起こる。
    • リビアの植民都市キュレネがティラ島のギリシャ人によって建設される。

紀元前620年代

詳細は「紀元前620年代」を参照
  • 紀元前627年 - 秦と晋が殽の戦い(中国語版)で激突し、晋が勝利する。
  • 紀元前627年頃
  • 紀元前625年頃
  • 紀元前624年 - 秦と晋が王官の戦いで激突し、秦が勝利する。
  • 紀元前623年 - 秦と晋が新城の戦いで激突。秦の穆公が西戎を制圧し、西戎の覇者となる。
  • 紀元前622年 - エルサレム聖殿で大祭司ヒルキヤが律法の書を発見、それに基づいてユダ国王ヨシヤが「申命記改革」を行う。
  • 紀元前621年 - 秦の穆公が死去し、177名の殉死者が出たことで、秦の国力が低下する。
  • 紀元前621年頃 - ギリシアのアテナイでドラコンが法典を成文化する。
  • 紀元前620年頃 - ギリシアのコリントスで「黒絵式」陶器が発明される。

紀元前610年代

詳細は「紀元前610年代」を参照

紀元前600年代

詳細は「紀元前600年代」を参照
  • 紀元前609年
    • ハッラーンの戦いで敗北し、アッシュール・ウバリト2世が戦死しアッシリアが完全に滅亡。
    • メギドの戦いでエジプト王ネコ2世がユダ王ヨシヤを戦死させる。
      • ヨシヤの三男ヨアハズが王となるも廃位されてエジプトに連行され、兄のエホヤキムが王となる。
      • 以後ユダはエジプトの服属国となり、「海の道(Derekh Ha Yam)」の要衝としてのメギドの地位は低落。
      • 戦場となった「メギドの丘」を意味する「ハルマゲドン」の語は後に黙示文学において「最終戦争」の意味で転用されるようになる。
  • 紀元前607年 - 趙穿が晋の霊公を殺害する。亡命途上の趙盾が帰国し成公を擁立。
  • 紀元前606年 - 楚の荘王が周の都洛邑へ進軍し「鼎の軽重」を問う。
  • 紀元前605年
  • 紀元前600年以前 - リュディア王アリュアッテスキンメリア人を撃滅する。

遺物

  • フラッド・タブレット(英語版):現在のイラクで紀元前7世紀頃に記された。[1]
    フラッド・タブレット。大英博物館所蔵。

人物

オリエント世界

南アジア世界

中国(周・春秋時代)

地中海世界

ギリシア

王政ローマ

架空のできごと

  • 前668年以降 - アッシリアの碩学ナブ・アヘ・エリバ博士が、文字の霊が人間に及ぼす災いについて研究し、アッシュールバニパル王に進言するものの認められず、最後には文字の霊の祟りで図書館の粘土板が落下し圧死する(中島敦文字禍』)。
  • 前609年以前 - アッシリアの最後の王であるサルダナパロスは、放蕩の限りを尽くした暴君として知られ、その最期は寵姫・侍者・財宝もろとも自ら宮殿に火を放って死んだと伝えられる(シケリアのディオドロスによって記録される「サルダナパロス王」はアッシュールバニパルほかアッシリア帝国末期の諸王の事績が混交した半ば伝説上の人物。後世、バイロンの戯曲『サーダナパラス(1821年)』やドラクロワの絵画「サルダナパールの死(1827年)」の着想の源泉となった)。

出典

  1. ^ マクレガー 2012, p. 155「16 フラッド・タブレット―洪水を語る粘土板」

参考文献

関連項目

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