西尾 忠雅(にしお ただまさ)は、江戸時代中期の遠江国横須賀藩の世嗣。官位は従五位下・播磨守。
3代藩主・西尾忠需の長男として誕生。正室は丹羽高寛の娘。
忠需が藩主に就く以前に生まれる。宝暦5年(1755年)、9代将軍・徳川家重に拝謁する。宝暦10年(1760年)叙任するが、家督相続前の明和2年(1765年)に早世した。法名は青靈蒼龍徳雲院。
代わって、弟・忠移が嫡子となった。