1755年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 1770年代 |
年: | 1752年 1753年 1754年 1755年 1756年 1757年 1758年 |
1755年(1755 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 乙亥
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2297年 - 2298年
- イスラム暦 : 1168年 - 1169年
- ユダヤ暦 : 5515年 - 5516年
- ユリウス暦 : 1754年12月21日 - 1755年12月20日
カレンダー
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できごと
- 2月11日(宝暦5年1月1日) - 貞享暦から宝暦暦に改暦。寛政9年12月30日(1798年2月16日)まで43年間使用。
- 11月1日 - リスボン大地震
- 奥羽地方で飢饉(宝暦の飢饉)。
- ルソー、『人間不平等起源論』を著す。
- フレンチ・インディアン戦争勃発(-1763年)
- モスクワ大学創立。
- 清がジュンガル・ホンタイジ国を滅ぼす。
誕生
「Category:1755年生」も参照
- 1月7日 - スティーヴン・グルームブリッジ、天文学者(+ 1832年)
- 1月11日 - アレクサンダー・ハミルトン、弁護士・ジャーナリスト・政治家(+ 1804年)
- 4月1日 - ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン、政治家・法律家・「美味礼讃」著者(+ 1826年)
- 4月16日 - エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン、画家(+ 1842年)
- 5月12日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ、作曲家(+ 1824年)
- 6月5日(宝暦5年4月26日)- 細川斉茲、第8代熊本藩主(+ 1835年)
- 6月25日 - ナターリア・アレクセーエヴナ、ロシア皇太子パーヴェルの妃(+ 1776年)
- 6月30日 - ポール・バラス、フランス革命期の政治家(+ 1829年)
- 7月5日 - サラ・シドンズ、女優(+ 1831年)
- 8月27日(宝暦5年7月20日) - 堀田正敦、江戸幕府若年寄(+ 1832年)
- 8月29日 - ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ、ポーランドの軍人(+ 1818年)
- 9月4日 - ハンス・アクセル・フォン・フェルセン、スウェーデン貴族(+ 1810年)
- 9月14日 - ウィリアム・ブラッドフォード、第2代アメリカ合衆国司法長官(+ 1795年)
- 9月24日 - ジョン・マーシャル、第4代アメリカ合衆国国務長官(+ 1835年)
- 10月25日 - フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(+ 1820年)
- 11月2日 - マリー・アントワネット、フランス王ルイ16世の妃(+ 1793年)
- 11月12日 - ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト、プロイセンの参謀総長(+ 1813年)
- 11月17日 - ルイ18世、フランス王(+ 1824年)
- 12月27日 - アントン、ザクセン王(+ 1836年)
- 月日不詳 - 宇田川玄随、蘭学者(+ 1798年)
- 月日不詳 - 片岡仁左衛門 (7代目)、歌舞伎役者(+ 1837年)
- 月日不詳 - 鶴屋南北、歌舞伎狂言作者(+ 1829年)
死去
「Category:1755年没」も参照
- 1月7日(宝暦4年11月25日)- 鍋島宗茂、第5代佐賀藩主(* 1687年)
- 1月11日 - ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ、作曲家(* 1705年頃)
- 2月10日 - シャルル・ド・モンテスキュー[1]、哲学者・政治思想家(* 1689年)
- 2月16日(宝暦5年1月6日)- 雨森芳洲、儒学者(* 1668年)
- 7月4日(宝暦5年5月25日)- 平田靱負、薩摩藩家老(* 1704年)
- 7月13日 - エドワード・ブラドック、イギリス軍の将軍(* 1695年?)
- 7月24日(宝暦5年6月16日)- 島津重年、第7代薩摩藩主(* 1729年)
- 8月13日 - フランチェスコ・ドゥランテ、作曲家(* 1684年)
- 10月28日 - ジョゼフ・ボダン・ド・ボワモルティエ、作曲家(* 1689年)
- 11月25日 - ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル、作曲家(* 1687年)
- 12月1日 - モーリス・グリーン、作曲家(* 1696年)
- 12月27日(宝暦5年11月25日) - 新興蒙所、書家・篆刻家(* 1687年)
- 月日不詳 - 張廷玉、清の軍機大臣(* 1672年)
フィクションの出来事
誕生
- 12月25日 - オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ - 池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』の3人の主人公の一人。フランス、ジャルジェ家の末子・六女として誕生。
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1755年に関連するカテゴリがあります。