許銘傑

曖昧さ回避 1985年生まれの投手「許銘倢」とは別人です。
曖昧さ回避 ミンチェ」はこの項目へ転送されています。「インチェ」の登録名でプレーした「林英傑」とは別人です。
許 銘傑
Hsu Ming-Chieh
楽天モンキーズ 投手コーチ #23
西武時代
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 高雄市鳳山区
生年月日 (1976-12-01) 1976年12月1日(47歳)
身長
体重
182 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 TMLシーズン中2次補足指名
初出場 TML / 1998年
NPB / 2000年4月2日
CPBL / 2014年3月28日
最終出場 TML / 1999年
NPB / 2013年6月12日
CPBL / 2016年6月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 中信兄弟 (2017)
  • 埼玉西武ライオンズ (2018 - 2020)
  • 楽天モンキーズ (2021 - )
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許 銘傑
各種表記
繁体字 許 銘傑
簡体字 许 铭杰
拼音 Xǔ Míngjié
注音符号 ㄒㄩˇㄇㄧㄥˊㄐㄧㄝˊ
発音転記: シュウ・ミンジェ
英語名 Hsu Ming-Chieh
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獲得メダル
男子 野球
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
アジア競技大会
1998

許 銘傑(シュウ・ミンチェ、1976年12月1日 - )は、台湾中華民国)出身の元プロ野球選手投手)・コーチ。右投右打。2011年から2013年までの登録名は「ミンチェ」。

経歴

来日前

1998年TMLのシーズン中に、二次補足指名ドラフトで台中金剛から指名を受け、入団した。

1998年12月に開催されたバンコクアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。

西武時代

2000年西武ライオンズに入団。台湾プロ野球との選手獲得紳士協定解除後の最初の入団選手で、かつて西武で活躍した郭泰源にちなみ、「郭泰源二世」と呼ばれて期待され、同年は一軍で6勝をあげた。

2001年は視力矯正のためにメガネをかけコントロールが向上した。あと5イニングを自責点4以内に抑えれば規定投球回数に到達し最優秀防御率のタイトルが確定するという状況でシーズン最後の登板を迎えたが5回8失点と打ち込まれてしまいタイトルを逃した[1]。それでも来日初の2桁11勝を挙げ規定投球回にはギリギリ到達した。

2002年は9勝に留まり規定投球回にも到達できなかったがチームのリーグ優勝に貢献した。

2003年は不調で19試合で4勝に留まり防御率も5点台に終わった。アテネオリンピック進出を懸けた台湾代表として出場し、アジア野球選手権で日本代表戦で先発する。

2004年は中継ぎを中心に27試合に登板し、2連続で勝ち星は4勝だった。

2005年は4試合の登板に終わった。

2006年はサイドスローへ挑戦するが、上体が高く、思うように球がコントロールできなかったため、終盤に再び元に戻した。先発ローテーションの谷間に数試合先発したが結果を残せず、その後はロングリリーフ要員となった。最終的に登板は19試合に終わった。

2007年は許に加えジェイソン・ジョンソンアレックス・グラマンクリストファー・ギッセルと4人の先発投手タイプの外国人が所属した。その中で許は主に先発投手が早い回で降板した際のロングリリーフを任され、15試合に登板した。一時は防御率2点台となるが、最終的には防御率4.88に終わった。

2008年5月18日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2年ぶりの先発勝利を挙げ、その後は日程の関係で中継ぎを任されたが安定感を欠き17試合の登板で防御率5.12に終わった。アジアシリーズでは外国人選手で唯一出場枠に登録されたが、予選の対天津ライオンズ戦で先発し、2回を4安打2失点で降板した。

2009年の春季キャンプにおいて行われたインタビューには日本語で受け答えしていた。2009年度より単数契約になり、通訳がいなくなったためである。シーズンでは中継ぎとして開幕一軍を勝ち取り、一度は降格されるが8月後半に再昇格。久しぶりの完投勝利を挙げ、残留も約束された。しかし、16試合の登板に留まり4年連続で登板20試合未満に終わった。ヒーローインタビューでは片言ながら一人で受け答えしていた。同年は埼玉西武ライオンズファン感謝の集いにも参加した。

2010年は開幕から先発ローテーションに食い込み、ダルビッシュ有等各チームのエース級との対戦や打線の援護に恵まれずに勝ち星は増えなかったが、岸孝之石井一久ら主力投手が相次いで離脱した苦しい時期を平野将光西口文也と共に裏ローテのエースとして支え、投球回数は2002年以来8年ぶりに100イニングを超えた。しかし後半戦になると調子を崩し気味になり、9月に降格してシーズンを終えた。本人が「初球から攻めていく」と話していたように、ファーストストライクを取ることを心がけた結果、前年よりも四球率が格段に良くなった。シーズンは22試合に登板し、7勝を挙げた。12月24日、登録名を「ミンチェ」にすることが発表された[2]

2011年はロングリリーフとしてスタートする。平野の二軍落ちで5月7日の対楽天戦で先発を任されると、2002年8月21日の対福岡ダイエーホークス戦以来9年ぶりとなる完封勝利を挙げた。故障で出遅れていた岸が復帰すると再び中継ぎに回り、他のリリーフの不調などで重要なセットアップマンとしての役割を任されるようになった。6月1日に出場登録日数が8年に達し、国内FA権を取得した。その後も6月12日の対阪神タイガース戦でプロ初セーブを記録するなど好調を維持していたが、8月16日の投球練習中に右脇腹を痛め戦線離脱。9月16日に一軍復帰を果たし、同日の対楽天戦に登板したが、1死しか取れず4失点で降板(試合は勝利)。これにより一時は0点台だった防御率が2点台に落ちた。それでも最終的にはチーム2位の49試合に登板し、6勝2敗1セーブ22ホールド、防御率1.98の成績を残し、チームの最下位から浮上してのクライマックスシリーズ進出に貢献した。

オリックス時代

オリックス・バファローズ時代
(2012年7月14日、神戸サブ球場)

2011年シーズンオフの12月12日、FA権を行使してオリックス・バファローズへ移籍[3]。日本プロ野球では初のFA権を行使して移籍した外国人選手となった。また、オリックスにとって球団合併後に獲得した初めてのFA獲得の選手となった。2012年より、前年に国内FA権を取得したことにより外国人枠が適用されず日本人選手と同じ扱いとなる。

2012年は新天地でもリリーフの一角として開幕一軍入りを果たす。しかし、福岡ソフトバンクホークスとの開幕第2戦で1点リードの7回裏に登板するも、本多雄一に満塁走者一掃の適時打を浴びて逆転負けを喫し、その後も開幕から8試合で防御率11.12と精彩を欠いた投球が続き、4月22日には登録を抹消された。交流戦から一軍に合流し、5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で3点をリードした直後の延長11回裏に登板し、無失点に抑えて移籍後初のセーブを挙げ、チームの連敗を6で阻止した。しかし、5月23日の対阪神戦で押し出し四球を与えるなど3失点し降板すると、監督の岡田彰布が「逃げる投手はいらんよ。ファームやん」と怒り心頭だったこともあり[4]、翌日には再び登録を抹消された。7月16日に再昇格してからはまずまずの投球を見せたが、接戦の場面で打たれることも多く、移籍1年目は37試合の登板で3敗1セーブ10ホールド、防御率5.29に終わった。

2013年は一軍ではわずか1試合の登板にとどまり、10月5日に戦力外通告された[5]

台湾復帰

Lamigoモンキーズ時代
(2014年7月19日)

2013年11月28日に中華職業棒球大聯盟Lamigoモンキーズよりドラフト2巡目で指名を受け[6]2014年1月7日、Lamigoと正式契約した。

2015年12月にLamigoを退団し中信兄弟に移籍した。

2016年シーズン終了後に現役引退。

現役引退後

引退後の2017年、そのまま中信兄弟の投手コーチに就任。

2018年から、埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任した。5年ぶりの日本球界復帰となる。登録名は「許銘傑」。ユニフォームの背ネームは「MING-CHIEH」となる。2020年限りで契約満了のため退団した。

2021年から、中華職業棒球大聯盟の楽天モンキーズの一軍投手コーチに就任した[7]

選手としての特徴

スリークォーターから平均球速約140km/h[8]、最速148km/hのストレートとスライダー、シュートによる横の揺さぶりを使った、打たせて取るピッチングスタイルである。他にもカットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップなど豊富な球種を持っている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1998 金剛 17 16 4 2 0 7 4 0 -- .636 489 118.0 103 4 42 7 1 81 3 0 38 33 2.52 1.23
1999 29 24 10 4 1 15 6 0 -- .714 830 194.1 196 8 55 9 5 123 12 1 85 61 2.83 1.29
2000 西武 28 21 1 1 0 6 7 0 -- .462 563 126.0 129 12 65 2 4 66 0 0 77 64 4.57 1.54
2001 27 25 1 1 0 11 6 0 -- .647 606 140.0 140 12 64 1 3 67 5 0 59 54 3.47 1.46
2002 20 20 2 2 1 9 7 0 -- .563 510 118.1 124 10 30 1 4 88 2 0 57 48 3.65 1.30
2003 19 11 1 0 0 4 2 0 -- .667 320 70.0 81 8 35 0 4 43 3 0 42 40 5.14 1.66
2004 27 6 0 0 0 4 3 0 -- .571 280 64.0 70 4 30 1 2 26 3 1 34 31 4.36 1.56
2005 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 27 5.2 9 2 4 0 0 4 0 0 4 4 6.35 2.29
2006 19 3 0 0 0 1 4 0 1 .200 190 42.2 46 8 17 2 2 26 4 0 28 26 5.48 1.48
2007 15 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 102 24.0 27 3 8 1 1 8 1 1 14 13 4.88 1.46
2008 17 2 0 0 0 1 3 0 3 .250 151 31.2 37 1 22 1 1 11 4 0 21 18 5.12 1.86
2009 16 4 1 0 0 1 2 0 1 .333 179 40.1 42 3 21 3 3 21 1 0 20 17 3.79 1.56
2010 22 20 1 0 0 6 9 0 0 .400 529 120.2 150 13 28 0 2 62 4 1 75 61 4.55 1.48
2011 49 1 1 1 0 6 2 1 22 .750 259 68.1 48 2 10 1 4 40 4 0 17 15 1.98 0.85
2012 オリックス 37 0 0 0 0 0 3 1 10 .000 148 32.1 38 2 16 2 1 14 2 0 19 19 5.29 1.67
2013 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.0 3 0 1 0 0 0 0 0 3 3 27.00 4.00
2014 Lamigo 28 14 1 1 0 7 5 0 3 .583 461 107.0 121 2 23 0 4 61 5 0 55 46 3.87 1.35
2015 19 13 0 0 0 4 3 0 0 .571 403 85.0 110 8 37 0 2 44 4 0 60 45 4.76 1.73
2016 兄弟 16 0 0 0 0 0 1 0 3 .000 99 19.1 35 2 6 1 0 9 1 0 21 16 7.45 2.07
TML:2年 46 40 14 6 1 22 10 0 -- .688 1319 312.1 299 12 97 16 6 204 15 1 123 94 2.71 1.27
NPB:14年 301 113 8 5 1 49 49 2 39 .500 3871 885.0 944 80 351 15 31 476 33 3 470 413 4.20 1.50
CPBL:3年 63 27 1 1 0 11 9 0 6 .550 963 211.1 266 12 66 1 6 114 10 0 136 107 4.56 1.57

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:1回 (2001年)

背番号

  • 18 (1998年 - 1999年)
  • 17 (2000年 - 2003年)
  • 23 (2004年 - 2011年、2024年 - )
  • 00 (2012年 - 2013年)
  • 16 (2014年 - 2015年)
  • 21 (2016年 - 2017年)
  • 91 (2018年 - 2020年)
  • 70 (2021年 - 2023年)

登録名

  • 許 銘傑(シュウ・ミンチェ)(2000年 - 2010年、2018年 - )
  • ミンチェ(2011年 - 2013年)

登場曲

代表歴

  • 1998年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ タイトル獲得はすでに全日程を終了して帰国していたネイサン・ミンチー
  2. ^ “登録名変更のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ (2010年12月24日). 2011年12月18日閲覧。
  3. ^ “許 銘傑投手 獲得のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2011年12月12日). 2011年12月18日閲覧。
  4. ^ “計12四死球に岡田監督“怒”「逃げる投手はいらんよ」”. スポニチアネックス. (2012年5月24日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/24/kiji/K20120524003313590.html 2012年10月10日閲覧。 
  5. ^ “戦力外通告のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2013年10月5日). 2011年12月18日閲覧。
  6. ^ 元西武のミンチェ、台湾球界“Uターン”で再出発中央社フォーカス台湾 2013年11月28日配信
  7. ^ “楽天、元西武の許銘傑を1軍投手コーチに/台湾プロ野球”. フォーカス台湾 (2020年11月21日). 2021年4月3日閲覧。
  8. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、52頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。 
  9. ^ 2005年5月20日 【公式戦】 試合結果 (横浜vs西武)
  10. ^ 2011年6月12日 【公式戦】 試合結果 (埼玉西武vs阪神)
  11. ^ a b 2010年5月25日 【公式戦】 試合結果 (広島東洋vs埼玉西武)

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 ミンチェ - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、CPBL
  • 許銘傑 (許銘傑-ミンチェHSU-165975080092005) - Facebook
ミンチェに関するカテゴリ:
  • オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
楽天モンキーズ 2023
監督
一軍コーチ
  • 87 古久保健二(ヘッド)
  • 73 川岸強(投手)
  • 57 鍾承祐(打撃)
  • 41 鄭兆行(守備走塁総合)
  • 91 陳雁風(内野守備)
  • 43 林英傑(ブルペン)
  • 42 洪全億(フィジカル)
  • 59 劉品辰(フィジカル)
二軍監督・コーチ
  • 71 陳瑞振(監督)
  • 70 許銘傑(投手チーフ)
  • 60 蔡明晉(投手)
  • 72 林國裕(投手補佐)
  • 78 真喜志康永(野手デベロップメント)
  • 90 林政億(打撃)
  • 50 許躍騰(バッテリー)
  • 30 林知譽(コーチ補佐)
  • 56 林克勳(フィジカル)
  • 96 翁克堯(トレーニング)
投手
  • 00 蘇俊璋
  • 1 舒治浩
  • 3 洪敏暘
  • 4 黃偉晟
  • 12 陳冠宇
  • 13 陳鴻文
  • 14 蘇俊羽
  • 15 佐藤由規
  • 16 翁瑋均
  • 17 游朝惟
  • 18 劉家翔
  • 19 陳克羿
  • 20 陳禹勳
  • 22 朱俊祥
  • 23 曾琦
  • 26 葉家淇
  • 27 楊彬
  • 32 王溢正
  • 33 ジェイク・ダールバーグ (道博格)
  • 34 許峻暘
  • 37 曾仁和
  • 40 ブルックス・ホール (霍爾)
  • 46 邱駿威
  • 48 頼鴻誠
  • 51 頼知頎
  • 54 林子崴
  • 55 エリアン・レイバ(雷法)
  • 61 ブレイディン・ヘーゲンス (豪勁)
  • 64 王志煊
  • 69 黃子鵬
  • 77 莊昕諺
  • 80 邱緯綸
  • 84 張梓軒
  • 92 范柏絜
  • 93 林楷錡
捕手
内野手
  • 5 梁家榮
  • 6 林承飛
  • 7 郭永維
  • 8 陳佳樂
  • 21 郭嚴文
  • 29 陳俊秀
  • 38 董順傑
  • 39 林立
  • 45 馮健庭
  • 53 楊家勝
  • 68 萬昭清
  • 79 林智平
  • 83 楊晉豪
  • 85 朱育賢
  • 94 馬傑森
  • 126 藍震威
外野手
  • 24 蔡鎮宇
  • 35 成晋
  • 36 余德龍
  • 65 林政華
  • 76 林耀煌
  • 82 黄敬瑋
  • 86 邱丹
  • 88 藍寅倫
  • 97 鍾玉成
  • 98 陳晨威
練習生
  • 80 宋丞偉
  • 124 陳威伸