豆酘村

つつむら
豆酘村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
厳原町、久田村、豆酘村佐須村厳原町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,993
(国勢調査、1955年)
隣接自治体 下県郡久田村
豆酘村役場
所在地 長崎県下県郡豆酘村3081番地
座標 北緯34度07分16秒 東経129度11分01秒 / 北緯34.12103度 東経129.18367度 / 34.12103; 129.18367座標: 北緯34度07分16秒 東経129度11分01秒 / 北緯34.12103度 東経129.18367度 / 34.12103; 129.18367
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豆酘村(つつむら)は、長崎県下県郡にあった村。1912年(明治45年)に与良村より分立し[1][2]、1956年(昭和31年)に厳原町、久田村、佐須村と合併し、改めて発足した厳原町の一部となった。

現在の対馬市厳原町の南西部にあたる。

地理

対馬島の南西部に位置する。

  • 山:竜良山、木槲山(もっこくやま)、雲刺山、尖山、松無山
  • 河川:豆酘川、浅藻川
  • 港湾:豆酘漁港(豆酘・浅藻)

沿革

与良村#沿革」も参照
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、豆酘村・尾浦村・安神村・久和村・与良内院村・豆酘内院村・豆酘瀬村・佐須瀬村・内山村が合併し下県郡与良村が発足[3]
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 与良村が以下の2村に分割される[1][2]
    • 与良村の一部(大字尾浦・安神・久和・与良内院・豆酘内院・豆酘瀬・佐須瀬・内山)と厳原町の一部(大字久田)が合併し、久田村が発足。
    • 与良村の残部(大字豆酘)より豆酘村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 厳原町・久田村・佐須村と合併して改めて厳原町が発足し、豆酘村は自治体として消滅。

地名

与良村からの分村時に1大字1村で発足した豆酘村では、大字を設置しなかった。このため「豆酘村○○番地」のように村名の次に地番を表示する住所表記となる[4]

名所・旧跡

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県
  • 平山棐 編『津島紀事』442頁-456頁(1917年)国立国会図書館デジタルコレクション

脚注

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  1. ^ a b 長崎縣告示第百二十四號『下県郡厳原町の内大字久田分割並びに与良村を廃し久田村及び豆酘村を置くの件』長崎県公報 明治45年3月2日付号外
  2. ^ a b 長崎縣令第十四號『下県郡厳原町の内大字久田分割並びに与良村を廃し久田村及び豆酘村を置くの件』長崎県公報 明治45年3月5日付号外
  3. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1]、[2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  4. ^ 新設の厳原町発足時に豆酘村の区域は再び大字豆酘となり、1958年(昭和33年)に大字豆酘の東部を割いて大字浅藻(あざも)が設置された。

関連項目

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