足利藤政

 
凡例
足利藤政
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正2年(1574年)以降?
幕府 室町幕府
氏族 足利氏古河公方
父母 父:足利晴氏、母:簗田高助娘?
兄弟 藤氏、義氏、藤政輝氏、家国、
里見義弘継室
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足利 藤政(あしかが ふじまさ)は、安土桃山時代武士。第4代古河公方足利晴氏の三男とされる。

生涯

永禄年代末期までの動向は詳細不明であるが、長兄・藤氏や弟・輝氏、家国らと一緒に行動していた可能性が高いと推定されている。また、藤氏同様、13代将軍足利義藤(後の義輝)より偏諱を受け、藤政を名乗った。

藤氏死後、その実質的な後継者として安房国にて里見氏の支援を受けながら佐竹氏宇都宮氏などの北関東諸氏に働きかけて復権運動を行っている。

その後は元亀3年(1572年)12月までは生存が確認されるが、それ以降の動向は不明である。一説には天正2年(1574年)の第三次関宿合戦の際に後北条氏によって自害させられたともいわれるが定かではない[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ 天正3年4月24日付上杉謙信願文(『上杉家文書』)において、上杉謙信が北条氏政を非難する文言の中で、氏政が父・氏康の遺命に背いて自害させたとしている「東将軍」を足利藤政とする説が田中義成以来の通説として行われているが、「東将軍」を藤政に比定することや自害そのものが事実であるのか疑問も出されている。[要出典]

出典

参考文献

  • 佐藤博信『中世東国政治史論』(塙書房、2006年) ISBN 4827312079
  • 田中宏志「足利藤政再考」(佐藤博信 編『関東足利氏と東国社会 中世東国論:5』(岩田書院、2012年) ISBN 978-4-87294-740-3) )