長谷川武彦

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長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本技術者実業家愛知県名古屋市出身。

略歴

1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。

2004年4月旭日中綬章受章[1]

2024年5月7日、老衰のため死去[2]。92歳没。

経歴

著書

  • 『感動創造 技術者として、経営者として』(2003年、PHP研究所

脚注

  1. ^ “平成16年春の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 4 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。
  2. ^ “長谷川武彦氏が死去 元ヤマハ発動機社長”. 日本経済新聞 (2024年5月9日). 2024年5月9日閲覧。
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