鶴岡カトリック教会天主堂

鶴岡カトリック教会天主堂
鶴岡カトリック教会天主堂(2013年5月)
地図
北緯38度43分38.1秒 東経139度49分42.6秒 / 北緯38.727250度 東経139.828500度 / 38.727250; 139.828500 (鶴岡カトリック教会天主堂)座標: 北緯38度43分38.1秒 東経139度49分42.6秒 / 北緯38.727250度 東経139.828500度 / 38.727250; 139.828500 (鶴岡カトリック教会天主堂)
所在地 山形県鶴岡市馬場町7-19
日本の旗 日本
教派 カトリック教会
ウェブサイト http://www.turuoka-catholic.or.jp/
歴史
創設日 1903年明治36年
建築物
設計者 パピノ神父
建築様式 バジリカ型三廊敷きロマネスク様式
建築物概要
全幅 10.8 meters (35 ft)
最頂部 23.7 meters (78 ft)
建築資材 木造瓦葺
管轄
教区 カトリック東京大司教区
テンプレートを表示

鶴岡カトリック教会天主堂(つるおかカトリックきょうかいてんしゅどう)は、山形県鶴岡市にある教会

1903年明治36年)に建てられたヨーロッパ中世紀頃ロマネスク様式をもつ教会で、1979年昭和54年)から国の重要文化財に指定されている。 日本で唯一黒い聖母像がある天主堂として知られる

概要

フランス人のパピノ神父の設計で、日本人大工の相馬富太郎が棟梁となって建築したと言われている[1]。高さ23.7メートル、正面の幅10.8メートル、主棟奥行き23.75メートルの木造瓦葺のバジリカ型三廊敷きロマネスク様式の建物で、東北地方ではこの様式最古の建物である[2]

黒いマリア像

黒い聖母像
マリアイエスを抱きかかえている

鶴岡カトリック教会天主堂の祭壇に飾られているのは、1903年に天主堂ができた記念にフランス ノルマンディー州 ドーバー・ラ・デリヴランデのデリブランド修道院から寄贈された「黒いマリア像」で、ノートルダム・ド・ラ・デリヴランデ聖堂(fr:Basilique Notre-Dame de la Délivrande)にある黒い聖母像の複製として、フランスで作られた、木の芯に石膏を被せたものである。日本にある「黒いマリア像」はこの一体のみである[3]

絵窓

窓絵
絵が描かれた透明な紙を2枚のガラスで挟んでいる

窓にはステンドグラスではなく、絵が描かれた透明な紙を2枚のガラスで挟んだ絵窓と呼ばれるものが使用されている。日本で絵窓が使われているのは、この建物が唯一である[4]

周辺の名所・施設

アクセス

  • 所在地:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町 7-19
    • 鶴岡駅から湯野浜温泉方面バス10分。市役所前下車徒歩5分。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ 建物に設置された看板より
  2. ^ カトリック鶴岡教会. “鶴岡カトリック教会へようこそ”. 2020年8月14日閲覧。
  3. ^ カトリック鶴岡教会. “鶴岡カトリック教会へようこそ”. 2020年8月14日閲覧。
  4. ^ カトリック鶴岡教会. “鶴岡カトリック教会へようこそ”. 2020年8月14日閲覧。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、鶴岡カトリック教会天主堂に関連するカテゴリがあります。
オープンストリートマップのロゴ
オープンストリートマップに鶴岡カトリック教会天主堂の地図があります。

外部リンク

  • 鶴岡カトリック教会
宗教 - Portal:キリスト教 - プロジェクト:キリスト教
聖書
教会・教派
称号・役職

聖職司祭 - 神父 - 修道士)、正教会(神品 - 教衆)、カトリック(教皇 - 枢機卿 - 司教)、プロテスタントの教職者牧師 - 伝道者 - 宣教師

施設
祭日礼拝
秘跡/機密
歴史
用語
世紀:1世紀 2世紀 3世紀 4世紀 5世紀 6世紀 7世紀 8世紀 9世紀 10世紀 11世紀 12世紀 13世紀 14世紀 15世紀 16世紀 17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 21世紀 - 初期キリスト教 - ローマ時代 - 中世 - 現代
イエス・キリスト使徒時代
前ニケア時代
キリスト教公認
東方教会
中世西方教会
宗教改革
カトリック
キリスト教の現代史
とリバイバル
産業の時代
イデオロギーの時代
概要
  • カテゴリ カテゴリ
  • キリスト教ポータル
カトリック
安土桃山時代
江戸時代

慶長遣欧使節(1613年) - 禁教令(1612年・1613年) - 元和の大殉教(1622年) - 聖トマス西と15殉教者(1633年 - 1637年) - 八重山キリシタン事件(1634年) - 島原の乱(1637年) - 郡崩れ(1657年) - 豊後崩れ(1660年) - 濃尾崩れ(1661年) - 浦上一番崩れ(1790年) - 天草崩れ(1805年) - 浦上二番崩れ(1842年) - 浦上三番崩れ(1856年) - 隠れキリシタン - 転びキリシタン - 踏み絵 - 宗門改

幕末明治時代
大正昭和初期
戦後

ヨハネ・パウロ2世来日(1981年) - フランシスコ来日(2019年)

プロテスタント
主流派
幕末明治時代

横浜バンド(1859年) - 日本基督公会(1872年) - 横浜宣教師会議(1872年) - 熊本バンド(1876年) - 札幌バンド(1876年) - 日本基督一致教会(1877年) - 第一回大親睦会(1878年) - 東京青年会(1880年) - リバイバル(1883年) - 大阪宣教師会議(1883年) - 第三回大親睦会(1883年) - 福音同盟会(1885年) - 明治元訳聖書(1887年) - インブリー事件(1890年) - 内村鑑三不敬事件(1891年) - 日本の花嫁事件(1893年) - 東京宣教師会議(1900年) - 二十世紀大挙伝道(1901年) - 共通讃美歌(1903年) - 宣教開始50年記念会(1909年) - エディンバラ会議(1910年)

大正昭和初期

三教会同(1912年) - 日本基督教会同盟(1912年) - 全国協同伝道(1914年 - 1917年) - 日本基督教連盟(1923年) - 神の国運動(1930年 - 1935年) - 神棚事件(1935年) - 基督教信徒大会(1940年) - 日本基督教団(1941年) - 感謝状(1941年) - 大東亜共栄圏への書翰(1944年)

戦後

NCC(1948年) - ラクーア伝道(1954年 - 1960年) - 戦責告白(1967年) - 反万博闘争(1970年) - 日本プロテスタント宣教150周年(2009年)

プロテスタント
福音派
明治時代

バックストン来日(1890年) - 松江バンド(1891年) - ちいさき群(1896年) - 中央福音伝道館(1901年) - 福音主義論争(1901年 - 1902年)

大正昭和初期

再臨運動(1918年) - ホーリネス・リバイバル(1919年・1930年) - 聖書信仰連盟(1933年) - ホーリネス分裂事件(1933年 - 1936年) - ホーリネス弾圧事件(1942年)

戦後

日本宣教百年記念聖書信仰運動(1959年) - 日本プロテスタント聖書信仰同盟(1960年) - 日本福音同盟(1968年) - 新改訳聖書(1970年) - 福音主義神学会(1970年) - ローザンヌ会議(1974年)日本伝道会議(1974年・1982年・1991年・2000年・2009年) - ビリー・グラハム国際大会(1980年) - マニラ会議(1989年) - 日本プロテスタント宣教150周年(2009年)

正教会
その他

幕末・明治の宣教師 - 日本の景教

キリスト教ポータル