1335年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代 1350年代 |
年: | 1332年 1333年 1334年 1335年 1336年 1337年 1338年 |
1335年(1335 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支 : 乙亥
- 日本
- 建武2年
- 皇紀 : 1995年
- 中国
- 元 : 元統3年、至元元年11月23日 -
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 1877年 - 1878年
- イスラム暦 : 735年 - 736年
- ユダヤ暦 : 5095年 - 5096年
カレンダー
- 1335年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
- 8月(建武2年7月) - 北条時行が関東で挙兵し、足利尊氏によって鎮圧される(中先代の乱)。
- 11月(建武2年11月) - 足利尊氏が朝廷への叛意を明らかにする。後醍醐天皇は新田義貞を大将とする追討軍を派遣(建武の乱の開幕)。
誕生
「Category:1335年生」も参照
- 10月28日(忠粛王4年10月11日) - 李成桂[要出典]、李氏朝鮮創始者(+ 1408年)
- 今出川公直、南北朝時代、室町時代の公卿(+ 1396年)
- 上杉憲方、南北朝時代、室町時代の武将、関東管領(+ 1394年)
- 西園寺実俊、南北朝時代の公卿(+ 1389年)
- 直仁親王、南北朝時代の皇族(+ 1398年)
- マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク、ハンガリー王ラヨシュ1世の最初の妃(+ 1349年)
- 姚広孝、明の政治家、軍師(+ 1418年)
- 上杉朝房、南北朝時代の武将、関東管領(+ 1391年?)
死去
「Category:1335年没」も参照
- 1月23日(建武元年12月28日) - 二階堂貞藤、鎌倉時代の武将(* 1267年)
- 2月27日(建武2年2月4日) - 二条道平、鎌倉時代の公卿(* 1287年)
- 4月2日 - ハインリヒ6世、チロル伯、ケルンテン公、ボヘミア王(* 1265年?)
- 4月24日(建武2年4月1日) - 石川時光、鎌倉時代の武将、陸奥石川氏の第13代当主(* 生年未詳)
- 8月2日(建武2年7月13日) - 小山秀朝、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 8月12日(建武2年7月23日) - 護良親王、鎌倉時代の皇族(* 1308年)
- 8月20日(建武2年8月2日) - 西園寺公宗、鎌倉時代の公卿(* 1310年)
- 9月4日(建武2年8月17日) - 蘆名盛員、鎌倉時代の武将、蘆名氏の第6代当主(* 1285年?)
- 9月6日(建武2年8月19日) - 諏訪時継、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 9月6日 (建武2年8月19日) - 諏訪頼重、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 10月18日 - リクサ・エルジュビェタ、ボヘミア王・ポーランド王ヴァーツラフ2世の2番目の妃(* 1286年)
- 11月24日 - ヘンリク6世ドブルィ、ヴロツワフ=レグニツァ=ブジェク公(* 1294年)
- アブー=サイード、イルハン朝の第9代君主(* 1301年)
- 熊谷蓮覚、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- ジョヴァンニ2世オルシーニ、イピロス専制公国君主(* 生年未詳)
- 畠山家国、鎌倉時代の武将、畠山氏の第5代当主(* 生年未詳)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1335年に関連するカテゴリがあります。