1960年の東映フライヤーズ

1960年の東映フライヤーズ
成績
パシフィック・リーグ5位
52勝78敗2分 勝率.400[1]
本拠地
都市 東京都世田谷区
球場 駒澤野球場
球団組織
オーナー 大川博
経営母体 東映
監督 岩本義行(7月10日まで)
保井浩一(7月12日から代行)
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1960年の東映フライヤーズでは、1960年の東映フライヤーズの動向をまとめる。

この年の東映フライヤーズは、岩本義行監督の5年目のシーズンである。

概要

高卒ルーキー張本勲の新人王獲得や毒島章一西園寺昭夫山本八郎などの打撃陣、土橋正幸久保田治などの投手陣の活躍で球団創設以来14年目で初のAクラスのチームはこの年もAクラス入りが期待され、5月までは3位と健闘した。しかし、6月に入るとチームは西鉄阪急の後塵を拝して5位に転落。7月に入っても成績不振が止まらず、岩本監督が休養し保井浩一二軍監督が監督代理で指揮を執るハプニング。その後も近鉄が追い上げるなど苦しい戦いが続いたが、最後は近鉄に9ゲーム差を付けて辛うじて最下位は免れた。それでも対戦成績は優勝の大毎に10勝16敗でミサイル打線に食い下がり、2位の南海に12勝14敗と健闘したが、2年ぶりのBクラスに終わり岩本監督は辞任。後任にはこの年まで巨人の監督を務めた水原茂が就任し、水原新監督のもと1962年の初優勝につながった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 西園寺昭夫
2 毒島章一
3 ラドラ
4 張本勲
5 山本八郎
6 松岡雅俊
7 スタンレー橋本
8 エディ武井
9 土橋正幸
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大毎 -- 南海 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 --
2位 南海 1.0 大毎 3.5 南海 2.0 南海 2.5 南海 5.0 南海 4.0
3位 東映 2.0 東映 6.5 西鉄 13.0 阪急 7.0 阪急 11.0 西鉄 12.0
4位 阪急 2.0 西鉄 8.0 阪急 14.0 西鉄 14.5 西鉄 12.5 阪急 17.0
5位 近鉄 3.5 阪急 8.0 東映 17.0 東映 26.0 東映 30.5 東映 30.0
6位 西鉄 3.5 近鉄 10.0 近鉄 20.0 近鉄 29.0 近鉄 34.0 近鉄 39.0


1960年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 毎日大映オリオンズ 82 48 3 .631 優勝
2位 南海ホークス 78 52 6 .600 4.0
3位 西鉄ライオンズ 70 60 6 .538 12.0
4位 阪急ブレーブス 65 65 6 .500 17.0
5位 東映フライヤーズ 52 78 2 .400 30.0
6位 近鉄バファロー 43 87 1 .331 39.0

[1]

オールスターゲーム1960

詳細は「1960年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 張本勲
監督推薦 土橋正幸 吉田勝豊 毒島章一

できごと

選手・スタッフ

 
東映フライヤーズ 1960
監督
コーチ
二軍監督・コーチ
  • 40 保井浩一(監督、7月12日から一軍監督代行)
投手
捕手
内野手
外野手

[2]

表彰選手

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
張本勲 外野手 初受賞

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “年度別成績 1960年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年6月13日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 123 
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
優勝 大洋ホエールズ 2位 読売ジャイアンツ 優勝 毎日大映オリオンズ 2位 南海ホークス
3位 大阪タイガース 4位 広島カープ 3位 西鉄ライオンズ 4位 阪急ブレーブス
5位 中日ドラゴンズ 6位 国鉄スワローズ 5位 東映フライヤーズ 6位 近鉄バファロー
 :日本一  :日本シリーズ出場
各年の北海道日本ハムファイターズ
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。
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