カラーテレビゲーム

カラーテレビゲーム
メーカー 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第1世代
発売日 日本の旗 1977年7月1日
コントローラ入力 有線パドルコントローラ
売上台数 カラーテレビゲーム15
日本の旗 約90万台[要出典]
カラーテレビゲーム6
日本の旗 約50万台 [要出典]
次世代ハードウェア ファミリーコンピュータ
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カラーテレビゲームColor TV-Game)は、任天堂1977年に同社としては初めて発売した家庭用の据え置き型テレビゲーム

概要

1977年7月、任天堂が発売した初の家庭向けテレビゲームで100万台を売り上げた。元は電卓メーカー「システック」と三菱電機が共同開発していたものであり、システックが倒産したのを受け、三菱電機が任天堂に企画を持ち込み[注釈 1]、さらに改良を加えて発売までに至った[2]。廉価版「カラーテレビゲーム6(カラーテレビゲームシックス)」と共に発売された。

内容は主に『ポン』に代表されるテニスまたは卓球ゲームの類で[2]、「テニスA」「テニスB」「ホッケーA」「ホッケーB」「バレーA」「バレーB」「ピンポン」「射撃ゲーム」の計8つのスイッチがあり、「射撃ゲーム」以外はさらにシングルス/ダブルスを選択し、合計で15種類となる。ケーブルで本体に接続されたコントローラーが2個あり、それぞれのプレイヤーはコントローラーを手に持って操作することもできた。

この当時、テレビゲームのソフトウェアは本体に内蔵された電子回路で構成された物で、現在のゲーム機のようにCPUにプログラムを与えて画像を表示したりする物ではないために、ソフトウェアを交換する事はできず、スイッチの切り替えでゲームの内容を電子回路の切り替えによって変更していた。これを家庭用のテレビ受像機に接続して遊ぶ。

テニスゲームやブロック崩しの操作といえば可変抵抗器を使用したボリュームタイプのコントローラーが広く知られているが、初期型(Model CTG-15S 黄色筐体)ではつまみにマイクロスイッチが内蔵されていた。これは少しひねるだけでよかったが、パドルを等速でしか動かすことができず素早い動きに対応できなかった。この入力方式はアーケードゲーム機の『コズミックモンスター』(当時のユニバーサル、『スペースインベーダー』のコピー)筐体付属のコントローラーでも採用されている。改良型(Model CTG-15V オレンジ色筐体)ではボリューム式に変更された。

後発のカラーテレビゲームシリーズとの共用が可能なACアダプターはまったく同じ品番で大きさと定格入力容量が異なる2種類が存在する[3][信頼性要検証]

後発の悩み

任天堂は家庭用テレビゲーム業界では、むしろ後発の部類に入るメーカーで、当時は自社内にもテレビゲームの開発ができるスタッフも揃っていなかったという。

本製品に先んじる事2年のエポック社テレビテニスで主流を作っていた市場にあっては同製品が2万円前後という値段のため、後発メーカーとしては価格で勝負するしかなく、ゲーム機としての機能を削りに削ってとにかく安く作り上げ、それでも完全な赤字で製造・販売された「6」と、やや他社製品より安いが採算の取れる「15」で攻勢をかける事となった。

実際は「6」も「15」も中身(電子回路や基板)は基本的に同じ物が入っており、「15」の機能を後から手を加えて表面上利用できないようにしたのが「6」である。2万円が1万5,000円になっても大きなインパクトはないが、1万円を切っていれば印象が全く違う。そこで「6」で客の目を引きつけ、その上で沢山遊べる「15」の方を選ばせるという二段構えの戦術を取り[4]、多少の赤字には目をつぶるという狙いがあった[1][5]。また同じように参入を狙っていた他社は9,800円のライバルに二の足を踏み、手を出す事ができなかったといわれている。ほとんど啖呵売の世界であるが、結果的にこの狙いは的中することになる。

なおエポック社は先発メーカーの強みもあって、任天堂の発売に触発されて同年に同じ価格帯で4人対戦も可能で射撃ゲームも楽しめた製品「システム10」とその廉価版の「M2」を投入したが、それでも任天堂の製品は、そのコンパクトで扱いやすいことから一定の評価を獲得していた。

この時代、テレビゲームといえば本製品のようなPONGクローンとも呼ばれるテニスゲーム以外にも、様々なゲームへと多様化して行く過渡期にあったが、この「6」と「15」の合計で約80 - 100万台(諸説あり)を売り上げる結果となり、後に任天堂の「安価なハードウェアで売り抜け」路線を決定付ける事となる。

バリエーション

カラーテレビゲーム6

テレビゲーム6では「バレーボール」「ホッケー」「テニス」のシングルス/ダブルスのみで、テレビゲーム15のゲームスイッチ(遊べるゲームの数)を9つも省いてあり、ゲームコントローラーも本体直付けだったため、定価で5000円以上の価格差があった「15」のほうが人気が高かった。これは任天堂の販売戦略によるものとされている[5]。価格は廉価版だった「6」が定価9,800円、「15」の方が15,000円である[6][4]

後続製品

本製品の好調な売り上げにより任天堂は、本格的なテレビゲーム業界参入を果たす。下記のゲーム機は三菱電機との共同開発であり、そこで培われた経験と人脈が後の「ファミリーコンピュータ」の開発に生きることになる[7]

「コンピュータTVゲーム」以外はいずれも「カラーテレビゲーム」ブランドを冠している。

レーシング112

レーシング112

1978年に発売したトップビューのレーシングゲーム[2][6]。本体中央に大型のハンドルと、その左横に2速のシフトレバーが取り付けられていた[8]が、アクセルはないのでシフトレバーでスピードが2段階に変更できるだけである。112種類のゲームが遊べるという触れ込みだったが、内容は同一のレースゲームが設定の組み合わせで112通りのバリエーションになるだけで、消費者に飽きられるのも早かったとされる[9]。当初価格は18,000円[10]だったが12,800円などに下げ、販売台数は約16万台程だった。

ブロック崩し

ブロック崩し

1979年3月末[11]ゲームセンターで人気を博したアタリのブロック崩しを家庭向け製品に発売したゲーム。任天堂が初めて自社開発した製品である[12][13][6]が、開発に手間取り販売時期が遅れたため売り上げは伸び悩み、販売台数は約40万台だったという。価格は13,500円だった[10]

コンピュータTVゲーム

コンピュータTVゲーム

1980年に任天堂がゲームセンターの対戦型アーケードゲーム「コンピューターオセロゲーム」を家庭向き製品に発売したゲーム[6]。基板はアーケードの物を流用している。専用のACアダプタは他のカラーテレビゲームとは違い、重量が2 kgもある。電子オセロゲーム一種類しか遊ぶことが出来ない上に価格も48,000円と任天堂のゲーム機にしてはとても高価だった事が裏目に出てしまい、史上最悪の売り上げを記録する結果になった。流通量が極端に少なく『幻のテレビゲーム』とも呼ばれている。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 三菱電機は1975年に任天堂とアーケードゲーム機『EVRレース』を共同開発したことで縁があった[1]

出典

  1. ^ a b 藤田直樹「「ファミコン」登場前の日本ビデオ・ゲーム産業--現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(2)」『經濟論叢』第163巻第3号、京都大學經濟學會、1999年3月、311-328頁、NAID 120000898882。 
  2. ^ a b c M.B.MOOK『懐かしファミコンパーフェクトガイド』99ページ
  3. ^ 任天堂 カラーテレビゲーム 環水平アーク
  4. ^ a b コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.52.
  5. ^ a b “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第2回:電卓をあきらめてゲーム機ヘ LSIが転がり込んで来た”. 日経BP. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
  6. ^ a b c d “The Lost World of Early Nintendo Consoles - PCMag UK”. uk.pcmag.com. Ziff Davis, LLC (2019年5月3日). 2020年4月21日閲覧。
  7. ^ 高野雅晴 (2008年9月30日). “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第3回:70年代後半の専用LSIゲーム機時代”. 日経トレンディネット. 日経BP. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月6日閲覧。
  8. ^ Voskuil, Geplaatst door Erik. “Nintendo Color TV Game Racing 112 (任天堂 カラー テレビゲーム レーシング 112, 1978)”. 2020年5月15日閲覧。
  9. ^ コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.53.
  10. ^ a b “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第3回:70年代後半の専用LSIゲーム機時代”. 日経BP. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。
  11. ^ 「三ゲームを切替 五ケタ表示「スペースフィーバー」」『ゲームマシン』第113号(アミューズメント通信社)、1979年2月1日、23面。2022年9月23日閲覧。
  12. ^ “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第3回:70年代後半の専用LSIゲーム機時代(2/2)”. 日経BP. 2014年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
  13. ^ コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.54.

参考文献

  • 『エレクトニック・ゲーム・コレクターズ』オークラ出版、2000年2月。ISBN 4-87278-547-9。 
  • 『テレビゲームの世界』ゲームス・スクエア、1997年8月。 
  • 高野雅晴 (2008年9月25日). “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第2回:電卓をあきらめてゲーム機ヘ”. 日経トレンディネット. 日経BP. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月6日閲覧。

関連項目

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