ジャイラス・ムーア

ジャイラス・ポーク・ムーア(Jairus Polk Moore、1847年11月27日 - 1935年2月7日)は、ドイツ改革派教会宣教師である。モールとも表記される。

1847年にペンシルベニア州バックス郡パーケーシーにスコッチアイリッシュ系の父とドイツ系の母の2男5女の末子として生まれる。

1873年にペンシルバニア州ランカスターのフランクリン・アンド・マーシャル大学(英語版)を卒業し、アンナ・アーノルドと結婚する。3年間師範学校の校長と高等学校の校長を務める。その後、オハイオ州ティフィン(英語版)ハイデルバーグ大学(英語版)神学院で学ぶ。1878年に卒業して、ペンシルバニア州ミラースヴィル教会で5年間牧会をする。

1883年にドイツ改革派教会より、日本派遣宣教師に命じられる。9月23日に来日して、A・D・グリングと協力して東京伝道を行う。中島信行・俊子夫妻などを信仰に導く。そして、1885年に植村正久と協力して一番町教会(現、富士見町教会)を創立する。1886年には学習院英語を半年教える。

1887年に仙台に移り、押川方義らの東北伝道に協力する。山形山形英学校に招かれ、英語を教える。これが、山形六日町教会になる。

1889年夏、仙台に戻り東北学院神学部教会史神学などを教える。1893年には宮城女学校の校長になり、第二高等学校でも英語を教える。そこで、基督教青年会の創立もかかわる。

1910年アメリカに帰国する。帰国中に妻が死去する。翌年再来日し、1913年フェリス女学校の教員アンナ・デフォレスト・トンプソンと結婚し、仙台に定住し東北学院の運営と伝道に携わる。

1924年引退し、ペンシルベニア州ランズデールで死去する。

参考文献

幕末・明治前期の来日宣教師(1859年 - 1890年)
日本のキリスト教史
カトリック
パリ外国
正教会
ロシア正教

ニコライ(1861) · アナトリー(1873) · ウラジーミル(1878)

聖公会
CMS
SPG

W・B・ライト(1873) · A・C・ショー(1873) · H・J・フォス(1876) · A・ロイド(1884)

ECUSA

E・サイル(1858) · J・リギンズ(1859) · C・M・ウィリアムズ(1859) · H・E・シュミット(1860) · J・カノヴァー(1863) · A・R・モリス(1871) · H・ラニング(1873)  · F・R・ピットマン(1877) · T・S・ティング(1878) · J・マキム(1880) · J・M・ガーディナー(1880) · E・J・フルベッキ(1883) · F・W・ハレル(1884)

MSCC
改革・長老派
米国長老
オランダ改革派

S.R.ブラウン(1859) · D・シモンズ(1859) · G・H・F・フルベッキ(1859) · J・H・バラ(1861) · H・スタウト(1869) · M・E・キダー(1869) · C・H・H・ウォルフ(1871) · L・L・ジェーンズ(1871) · M・N・ワイコフ(1872) · J・L・アメルマン(1876) · E・S・ブース(1879) · H・ハリス(1884) · A・オルトマンス(1886)

スコットランド
カンバーランド
南長老
RCU

A・D・グリング(1879) · J・P・ムーア(1883) · W・E・ホーイ(1885) · D・B・シュネーダー(1887)

メソジスト派
米国監督
カナダ

E・W・クラーク(1871) · G・コクラン(1873) · D・マクドナルド(1873) · C・S・イビー(1876) · G・M・ミーチャム(1876) · M・カートメル(1882) · J・G・ダンロップ(1885) · J・W・サンビー(1886) · J・K・マンロー(1888) · I・S・ブラックモーア(1889)

米国南監督

J・W・ランバス(1886) · W・R・ランバス(1886) · S・H・ウェンライト(1888) · J・C・C・ニュートン(1888)

米国美普
米国福音
会衆派
AB
バプテスト派
ABMU
BMS
ディサイプルス
基督教会

C・ガルスト(1883) · G・スミス(1883)

フレンド派
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ブレズレン系
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超教派
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新神学系
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