ランディ・サベージ

ランディ・サベージ
ランディ・サベージの画像
1986年
プロフィール
リングネーム ランディ・サベージ
ランディ・ポッフォ
ザ・スパイダー
ジ・エクスキューショナー
本名 ランドル・マリオ・ポッフォ
ニックネーム マッチョマン
マッチョ・キング
ミスター・マッドネス
身長 186cm
体重 111kg(全盛時)
誕生日 (1952-11-15) 1952年11月15日
死亡日 (2011-05-20) 2011年5月20日(58歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州の旗 オハイオ州
フランクリン郡コロンバス
スポーツ歴 野球
ボディビル
トレーナー アンジェロ・ポッフォ
デビュー 1973年
引退 2011年
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"マッチョマン" ランディ・サベージ"Macho Man" Randy Savage、本名:Randall Mario Poffo1952年11月15日 - 2011年5月20日)は、アメリカ合衆国プロレスラーオハイオ州コロンバス出身のイタリア系アメリカ人。キャリア全盛時は、当時の居住地であるフロリダ州サラソータ出身と紹介されていた。

デトロイト、レキシントン、メンフィスなどのローカル・テリトリーを経て、WWFWCWで活躍した。父のアンジェロ・ポッフォ、弟の "ザ・ジニアス" ラニー・ポッフォもプロレスラーである。

来歴

野球選手時代

イリノイ州シカゴ郊外のダウナーズグローブ北高等学校(英語版)在学時は野球選手(捕手)として活躍し、1971年MLBドラフト会議での指名を目指していたが、指名されることはなかった[1]。その後、セントルイス・カージナルスが開催した公開トライアウトに参加し、300名の参加者の中でただ1人合格[1]。月給500ドルの契約を結び、晴れてプロ野球選手となった[1]

カージナルス傘下では捕手の他に外野手にも挑戦したが、肩の故障もありA級までしか昇格できず、1973年限りで自由契約となった。

1974年シンシナティ・レッズと契約し、傘下A級タンパ・ターポンズに所属。131試合に出場して打率.232、9本塁打、66打点の成績を残したが[1]、ここでも昇格はなく、この年限りで現役を引退した。マイナーリーグ4年間の通算成績は、289試合出場、打率.254、16本塁打、129打点[2]

プロレスラー初期

1973年11月、野球のオフシーズンにプロレスラーとしてデビューを果たす。野球を引退した後はプロレスに専念する。

覆面レスラーザ・スパイダーや本名のランディ・ポッフォの名義でジョージアフロリダミッドアトランティックなどNWAの傘下テリトリーを転戦してキャリアを積む[3]。海外修行時代の日本の若手レスラーとも試合を行っており、フロリダでは1975年にミツオ・ヨシダこと長州力[4]、ミッドアトランティックでは1976年にドクター・フジナミこと藤波辰巳と対戦[5]。父アンジェロ・ポッフォも主戦場としていたデトロイト地区ではザ・シークのUSヘビー級王座に挑戦した。

1977年下期よりランディ・サベージリングネームを用い[3]1978年からはアンジェロが設立したケンタッキー州レキシントンの独立団体ICW(International Championship Wrestling)に弟のラニー・ポッフォと共に参画[6]ボブ・ループボブ・オートン・ジュニアロニー・ガービンクラッシャー・ブルームフィールドらとタイトルを争った。

しかし、経営の悪化によりICWは解散。1983年からは同じくケンタッキーをサーキット・エリアとしていた、ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)が主宰するテネシー州メンフィスのCWA(後のUSWA)に転出した。CWAではジェリー・ローラーAWA南部ヘビー級王座を巡って対戦を繰り広げ、オースチン・アイドルともインターナショナル・ヘビー級王座を賭けた抗争を展開[7]。タッグ戦線でもラニーと組んでリッキー・モートンとロバート・ギブソンのロックンロール・エクスプレスとの抗争で活躍した。

1984年12月30日には、後にマネージャーとなるミス・エリザベスことエリザベス・ヒューレット(英語版)と結婚した。

WWF時代

1985年6月8日、ジェリー・ローラーとの敗者追放マッチに敗れてCWAを去り、妻のエリザベスをマネージャーにWWFに登場。若手時代にデトロイトで邂逅したパンピロ・フィルポを模した[8] "Oooh Yeah!!" を決め台詞にヒールの主力として頭角を現し、翌1986年2月8日にはティト・サンタナからインターコンチネンタル・ヘビー級王座(以下IC王座)を奪取した。

1987年3月29日にミシガン州で開催されたレッスルマニアIIIでは、リッキー・スティムボートと歴史に残るIC王座戦を展開。この試合でIC王座から転落するとベビーフェイスに転向して、エリザベスとの二人三脚で人気をさらに高める。

1988年

1988年3月27日にニュージャージー州アトランティックシティで開催されたレッスルマニアIVのWWF世界王者決定トーナメントでは、俳優活動も始めたハルク・ホーガンを抑えメインイベントに抜擢された。ホーガンとエリザベスのサポートもあり、決勝でテッド・デビアスを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得、名実共にWWFのトップスターまで登りつめた。

1988年ハルク・ホーガンとのタッグチームメガ・パワーズThe Mega Powers)」を結成。8月29日のサマースラム第1回大会のメインイベントではアンドレ・ザ・ジャイアント&デビアスの「メガ・バックス(The Mega Bucks)」と対戦した。しかしながら、エリザベスを巡る三角関係のアングルでコンビは解散し、ホーガンとの抗争に発展していく。

1989年4月2日のレッスルマニアVでホーガンに敗れ、WWE世界王座とエリザベスを同時に失う。その後はエリザベスに代わる新しい女性マネージャーとしてセンセーショナル・シェリーを帯同し、再びヒールに戻ってホーガンとの抗争を継続させる。キングを名乗っていたジム・ドゥガンを破ったことでリングネームもマッチョマンから「マッチョ・キング」に変更し、1990年代からはダスティ・ローデスアルティメット・ウォリアーとの抗争に入った。

1991年3月24日のレッスルマニアVIIでは、ウォリアーとの敗者引退マッチにて30分以上の死闘を繰り広げるも敗退。試合後、敗北をマネージャーのシェリーに責められ攻撃される。そのとき客席からエリザベスが救出に駆けつけ、2人は復縁することになる。その後は再びベビーフェイスとなり、リングネームをマッチョマンに戻すと、同年8月26日にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサマースラム1991にてエリザベスと結婚式を挙げた(実際には2人は1984年に結婚しているが、ストーリー上では恋人同士の関係ということになっていた)。

以降は2人への祝儀ヘビを送りつけたジェイク・ロバーツとの抗争を経て、1992年4月5日にインディアナポリスで開催されたレッスルマニアVIIIではリック・フレアーを破り再びWWF世界ヘビー級王座を奪取、9月1日にフレアーに奪回されるまで約半年間保持した。しかし、私生活において同年9月18日にエリザベスと離婚すると、彼女はテレビから姿を消し、サベージも1993年からはカラー・コメンテーターが主体となり試合数は減少する。1994年にホーガンがWCWに移籍すると、同年10月に後を追うようにWCWに転出した。

WCW時代

1994年に契約金600万ドル(約7億5千万円)でWCWに移籍すると、1995年11月26日と1996年1月22日にそれぞれフレアーを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得[9]。フレアーとホーガンに次ぐWWEとWCWの両メジャーにて世界王者になったレスラーの1人となった。

1996年にホーガンがケビン・ナッシュスコット・ホールと共にnWoを結成すると、後にサベージもメンバーとなり、nWo内でエリザベスと復縁(実生活上の復縁ではない)、ダイヤモンド・ダラス・ペイジと抗争を繰り広げた。

1998年4月19日には当時のWCWのトップスター、スティングからWCW世界ヘビー級王座を奪取するが、翌日にホーガンに敗れ1日で王座から転落した。nWoとホーガンに不満を持ったサベージは、ナッシュが新しく結成したnWoウルフパックに加わるが、怪我のためほとんど試合に出場することはなくテレビから姿を消した。

1999年にニュールックで復帰すると、新しいガールフレンドのゴージャス・ジョージ(英語版)をマネージャーに迎え、メデューサミス・マッドネスシッド・ビシャスらと「チーム・マッドネスTeam Madness)」なるユニットを結成[10]。7月11日にナッシュを破って4度目のWCW世界ヘビー級王座戴冠を果たし[9]、8月にはNBAの問題児デニス・ロッドマンとのシングルマッチを制すなど、健在ぶりをアピールした。2000年に入るとホーガンやフレアーなど他の大御所レスラー達と共に「ミリオネアーズ・クラブThe Millionaire's Club)」のメンバーとなるも、nWoほどのブレイクには至らず、契約の満了に伴いWCWを離脱した。

WCW以降

しばらくフェードアウトした後の2004年12月5日、TNAターニングポイントに登場。ジェフ・ハーディー&A・J・スタイルズとトリオを結成し、ザ・キングス・オブ・レスリング(ナッシュ、ホール、ジェフ・ジャレット)と対戦したが、交渉の決裂によりサベージのTNA出場はこの1試合のみにとどまった。

2009年6月にはDVD『Macho Madness:The Randy Savage Ultimate Collection』がWWEからリリースされている。

死去

2011年5月20日朝、フロリダ州のハイウェイで自動車を運転中、心臓発作を起こしてコントロールを失い木に衝突、ラルゴ・メディカル・センターに運ばれたものの容体が悪化し死亡が確認された[11][12][13]。58歳没。没後の2015年WWE殿堂に迎えられた(インダクターはホーガン)。

日本でのファイト

  • WWF入りする以前は日本マットと提携関係のない独立団体を主戦場としていたため、WWF時代のライバル、ホーガンやロディ・パイパーと比べ来日は遅い。1990年のWWF・全日本新日本の3団体合同で開催された東京ドームにおける『日米レスリングサミット』で初来日。サベージは天龍源一郎と対戦。典型的なアメリカン・プロレスのショーマン派レスラー(と思われていた)のサベージと、無骨なタイプの天龍の試合はミスマッチかと思われたが、試合巧者であるサベージ、アメリカ遠征時代にアメリカン・プロレスに触れていた天龍という、互いの秘めた持ち味が存分に引き出された好勝負となり、サベージの日本での評価を大きく高めた試合であった。
  • 天龍とは、彼がのちに移籍したSWSとWWFが提携していたため、SWSマットでも対戦している。また、同マット上でタッグも結成した。
  • WCWに移籍後は、WCWと提携関係にあった新日本プロレスの大会に数回来日している。

得意技

ダイビング・エルボー・ドロップ
トップロープからのエルボー・ドロップ。フォームの美しさ・破壊力ともに優れ、スチール・ケージ・マッチでは5メートルものケージの上から放つこともあった。後にギミックと共にジェイ・リーサルが継承し、またサベージの死後、CMパンクが技のみ継承した。
ロープを使ってのクローズライン
相手の首や髪を掴みながら走り、自らは場外へジャンプし相手の喉をトップロープに押しつけダメージを与える。
ダブル・アックス・ハンドル
合わせた両握り拳を相手に叩きつける技。試合では非常に多用され、通常のトップロープから放つもの以外にも、ランニング式や場外の相手にトップロープから投下する場合もある。しかし着地の際の衝撃が原因で後年は膝を悪化させた。
ラリアット・テイクダウン
いわゆるジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ。走りこんで相手の首に腕を巻きつけ、自らも背中から倒れ込みながら、相手の後頭部をマットに叩きつける。
ハイ・ニー・スマッシュ
背後から相手の背中・腰に膝を打ち当てる。相手はその勢いで顔面からターンバックルに激突するか、場外に転落するまでが流れである。
ジャンピング・ニー・ドロップ
スクープスラム
見た目の派手さからショーマンレスラーと思われがちだが本来は試合巧者であり、リングを隅々まで使うそのファイトスタイルは、ショーン・マイケルズクリス・ジェリコ等にも大きな影響を与えている。

獲得タイトル

ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座 : 1回
  • AWA南部ヘビー級王座 : 2回
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座 : 1回
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
  • USWA統一世界ヘビー級王座 : 1回[15]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米ヘビー級王座 : 1回
インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
  • ICW世界ヘビー級王座 : 3回[16]
アトランティック・グランプリ・レスリング
  • AGPWインターナショナル・ヘビー級王座 : 2回[17]

エピソード

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d JEFF PEARLMAN (2011年5月23日). “Randy (Macho Man) Savage's dream was to make it to the Majors”. Sports Illustrated. 2022年3月16日閲覧。
  2. ^ “Randy Poffo Minor Leagues Statistics & History”. Baseball-Reference.com. 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ a b “Randy Savage”. Wrestlingdata.com. 2013年12月17日閲覧。
  4. ^ “Mitsuo Yoshida vs. The Spider”. Wrestlingdata.com. 2018年10月4日閲覧。
  5. ^ “Dr. Fujinami vs. Randy Poffo”. Wrestlingdata.com. 2013年12月17日閲覧。
  6. ^ “Regional Territories: ICW”. Kayfabe Memories.com. 2015年4月30日閲覧。
  7. ^ “Memphis Wrestling History 1984”. Memphis Wrestling History. 2010年10月4日閲覧。
  8. ^ “Pro wrestling's Pampero Firpo: Whatever happened to ...?”. Cleveland.com. 2015年8月17日閲覧。
  9. ^ a b c “WCW World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2019年1月19日閲覧。
  10. ^ “Team Madness”. Online World of Wrestling. 2019年1月19日閲覧。
  11. ^ “Wrestler Randy Savage dead at 58”. UPI.com. 2011年5月20日閲覧。
  12. ^ “Randy "Macho Man" Savage passes away”. WWE.com. 2011年5月20日閲覧。
  13. ^ マッチョマン、ランディ・サベージさん交通事故で死去 シネマトゥデイ 2011年5月21日閲覧。
  14. ^ “NWA Gulf Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月30日閲覧。
  15. ^ “USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月30日閲覧。
  16. ^ “ICW World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月30日閲覧。
  17. ^ “AGPW International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月27日閲覧。
  18. ^ “Miss Elizabeth”. Online World of Wrestling. 2011年5月21日閲覧。
  19. ^ “1971 GCL Cardinals”. 2021年10月11日閲覧。

外部リンク

  • WWE.com
  • Online World of Wrestling
  • ランディ・サベージのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
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