ルー・アルバーノ

"キャプテン" ルー・アルバーノ
"キャプテン" ルー・アルバーノの画像
プロフィール
リングネーム "キャプテン" ルー・アルバーノ
本名 ルイス・ビンセント・アルバーノ
身長 178cm
体重 135kg(全盛時)
誕生日 (1933-07-29) 1933年7月29日
死亡日 (2009-10-14) 2009年10月14日(76歳没)
出身地 イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ州ローマ
スポーツ歴 アメリカンフットボール
デビュー 1953年
引退 1995年
テンプレートを表示

"キャプテン" ルー・アルバーノ"Captain" Lou Albano、本名:Louis Vincent Albano1933年7月29日 - 2009年10月14日)は、アメリカ合衆国で活動したプロレスラープロレス・マネージャー、俳優イタリアローマ出身、ニューヨーク州マウントバーノン育ち[1]

ヒールのプレイング・マネージャーとして知られ、1960年代末から1980年代にかけて、地元ニューヨークのWWWFおよびWWFで活躍した[1][2]

来歴

少年期にイタリアローマから家族でニューヨークに移住。テネシー大学にてアメリカンフットボールで活動後、アメリカ陸軍を経て、1953年カナダモントリオールでプロレスラーとしてデビュー[2]。トニー・アルティモア(トニー・アンジェロ)とのイタリア系ギャングスター・ギミックのタッグチームザ・シチリアンズThe Sicilians)で活躍し、1961年にはシカゴでミッドウエスト・タッグ王座を獲得[1]。その後WWWFに進出し、1967年アーノルド・スコーラン&スパイロス・アリオンからWWWF USタッグ王座を奪取した[3]

アルティモアとのコンビ解消後はマイクパフォーマンスの才能を活かし、1969年よりWWWFでイワン・コロフのマネージャーに転身。1971年1月18日にはブルーノ・サンマルチノからWWWF世界ヘビー級王座を奪取させることに成功した[4]。以降、フレッド・ブラッシーグラン・ウィザードと共に、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWWF / WWFを代表する悪徳マネージャーとしてブーイングを浴び続けた[1]

1973年

自他ともに認める悪相の持ち主であったことから、ゴージャスなブラッシーや頭脳派のウィザードと比べ野卑で単細胞なイメージを売り物にし、TVインタビューでゲップを連発するなど意図的に下品な振る舞いをしていた。頬に安全ピンゴムバンドを括り付けるなど、ビジュアル面でもブラッシーやウィザード同様にファンに強いインパクトを与えたが、どことなくユーモラスで憎めないキャラクターも支持され、後にベビーフェイスとしても人気を集めることになる[5]

1983年シンディ・ローパーの『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』のミュージック・ビデオにローパーの横柄で保守的な父親役で出演(出演のきっかけは、プエルトリコ・サンフアンでのコンサートを終えたローパーがニューヨークに戻る飛行機内でアルバーノと出会い、彼に興味を持ったことによる[6])。同曲は大ヒットし、さらなるビジネスの拡大を目論んだローパーのマネージャー(デビッド・ウルフ)のアイデアで、1984年よりWWFにてローパーとアルバーノの対立アングルがスタートする。同時期、WWFはビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下に入っており、マーケティング戦略においても新機軸を次々と打ち出していた。同年7月23日、"The Brawl to End It All" と銘打ち、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてローパーとアルバーノの代理対決、ウェンディ・リヒターファビュラス・ムーラ戦が行われる[7][8]。両者がセコンドに付いたこの試合はMTVで放送され大反響を呼び、ロックン・レスリングRock 'n' Wrestling)という新しいコンセプトが誕生、翌年のレッスルマニアへの試金石ともなった[6][9]

ローパーとの一連のアングルにより、アルバーノのユニークな個性はプロレスファン以外の一般層からも認知され、1985年からはベビーフェイスのマネージャーに転向。旧敵のハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘し、その陽気なキャラクターで主に子供ファンの人気を獲得した。1986年の末にWWFを離れ、その後は俳優としてショービジネス界で活躍。1989年の "The Super Mario Bros. Super Show!" ではマリオ役を演じた。

1994年、フェイスターンしたヘッドシュリンカーズのマネージャーとして一時WWFに復帰。1996年にはWWE殿堂に迎えられた[10]。以降もオールドタイマーのリユニオン・イベントに登場し、WWEの番組にも時折出演していた。2009年10月14日、76歳で死去[11]

担当選手

タッグチーム

自身がタッグ出身ということもあり、マネージャー時代はタッグチームを手掛ける場合が多く、初代王者チームとなったタイラー&グラハムを皮切りに、担当したほとんどのチームをタッグ王座に就かせた(上記はUSエクスプレス以降がベビーフェイス転向後の担当チーム)[2][12]

獲得タイトル

  • WWWF USタッグ王座:1回(w / トニー・アルティモア)[3]
  • WWE殿堂1996年度(インダクターはJoe Franklin)[10]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d “Lou Albano”. Online World of Wrestling. 2015年4月22日閲覧。
  2. ^ a b c “Captain Lou Albano Bio”. WWE.com. 2015年4月22日閲覧。
  3. ^ a b “WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  4. ^ “History of the WWE Championship”. WWE.com. 2010年4月19日閲覧。
  5. ^ DVD『WWE ワールド・グレイテスト・レスリング・マネージャーズ』(2006年、ジェネオン・エンタテインメント
  6. ^ a b ショーン・アセール、マイク・ムーニハム共著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実 』P73-78(2004年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583037880)
  7. ^ “WWF The Brawl To End It All”. Cagematch.net. 2015年10月21日閲覧。
  8. ^ “WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2010年4月19日閲覧。
  9. ^ フレッド・ブラッシー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『フレッド・ブラッシー自伝』P395-396(2003年、エンターブレイン、ISBN 4757716923)
  10. ^ a b “WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2016年12月17日閲覧。
  11. ^ “Lou Albano (1933-2009)”. Find a Grave.com. 2015年2月17日閲覧。
  12. ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月19日閲覧。

外部リンク

  • WWE Hall of Fame
  • Online World of Wrestling
  • ルー・アルバーノのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
 
1993年
1994年
1995年
1996年
 
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
 
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
 
2020年
2021年
2022年
2023年
2024年
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • アメリカ
芸術家
  • MusicBrainz