島津久範
島津 久範(しまづ ひさのり、1894年1月4日 - 1944年7月13日[1])は、日本の華族(伯爵)[2]。位階は正五位[2]。
来歴
明治27年(1894年)1月、幕末の薩摩藩藩主・公爵・島津忠義の七男として生まれる[3]。大正5年(1916年)、伯爵・島津忠麿の養子となり、[2]同15年、家督を相続する[3]。
最初の妻は忠麿の長女・随子[注 1][2]、2番目の妻は忠麿の三女・秀子[注 2][2]、3番目の妻は高倉永則の娘・久子[1]。
子に島津忠韶[5]、島津久永、孫に島津忠範、島津禎久がいる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.736
- ^ a b c d e f 維新史料編纂会 1929, p. 332.
- ^ a b “島津久範”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2023年3月23日閲覧。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、543頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 維新史料編纂会 1929, p. 333.
参考文献
- 維新史料編纂会 編『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年1月15日。NDLJP:1879484。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 島津忠麿 | 伯爵 (佐土原)島津家第3代 1926年 - 1944年 | 次代 島津忠韶 |
佐土原島津家当主 | |
---|---|
宗家 | |
総州家 | |
奥州家 | 氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在 |
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