日本の暦

日本の暦(にっぽんのこよみ)では、日本における暦法の歴史と、それに伴う(暦書・暦表)に関する話題について述べる。

日本における紀年法については「和暦」を参照

暦法の歴史

貞享暦1729享保14)年版。国立科学博物館の展示。

全て太陰太陽暦である。渋川春海が独自の思想にもとづき神武天皇即位紀元まで遡って「日本長暦」を編纂し、それまでの期間の暦を定めたため、それが例えば皇紀や紀元節などの典拠ともなっているが、一般には以下に挙げる暦よりも前にそのような暦があったとは考えられていない(江戸期において、すでに本居宣長が否定している)。

古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦を輸入したものが使われていた(宣明暦以降は輸入が途絶え、そのまま使っていた)。江戸期において、西洋暦も参考にした日本人による暦が作られ始めた。明治改暦により、グレゴリオ暦1873年明治6年)1月1日からはグレゴリオ暦が使われ[注 1]2024年令和6年)現在に至っている。

  • 元嘉暦(げんかれき) - 6世紀頃朝鮮半島百済から伝えられた宋の時代の中国暦である。
  • 儀鳳暦(ぎほうれき) - 中国暦で690年から元嘉暦と併用された。697年からは単独で使用された。
  • 大衍暦(たいえんれき、だいえんれき) - 中国暦で764年から861年まで使われた。
  • 五紀暦(ごきれき) - 中国暦で781年に日本に紹介されたが単独で使われることはなかった。
  • 宣明暦(せんみょうれき) - 中国暦で862年から1685年まで使用された。
  • 貞享暦(じょうきょうれき) - 初めて日本人により編纂された暦で1685年から1755年まで使われた。
  • 宝暦暦(ほうりゃくれき、ほうれきれき) - 1755年から1798年
  • 寛政暦(かんせいれき) - 1798年から1844年
  • 天保暦(てんぽうれき) - 1844年から1872年

日本の暦の歴史

前記の和暦に基づき以下の暦(暦書・暦表)が使われてきた。暦の作成配布は日本に限らず、古代より統治者(朝廷や幕府)によって取締られてきた事項であり[注 2]、明治に至っては神宮暦に一本化された。暦の決定は国家が法で行うが、カレンダーは(それに従って)自由に作ってよい、と明確に分離され自由になったのは、戦後の1946年である。

  • 具注暦(ぐちゅうれき)
    • 元嘉暦を基に作られた暦である。飛鳥時代の木簡に具注暦を記したものが見つかっている。奈良時代には朝廷の陰陽寮が作成し頒布していた。)鎌倉時代に具注暦を仮名表記にした仮名暦(かなごよみ)が現れた。
  • 京暦(きょうごよみ) 
    • 始まりは鎌倉時代と推定されている。15世紀中頃には摺暦座(すりごよみざ)が専売権を持っていた。
    • 1657年には朝廷御用達で全国の暦師の監督権を持っていた大経師(だいきょうじ)が大経師暦を発行していた[1]
  • 三島暦(みしまごよみ)
    • 奈良時代(8世紀後半)から続くと言われている[注 3]。この三島暦を作ったのは奈良から三島宿へ移ってきた暦師河合家であった。江戸時代初期には幕府の公式の暦となり、関東・東海地方で広く使われていた。河合家は平成に入り50代続いた暦師を廃業した[2]
  • 大宮暦(おおみやごよみ)
    • 戦国時代に武蔵国大宮の氷川神社で作成された仮名暦。
  • 丹生暦(にゅうこよみ)
    • 三重県丹生の賀茂家が版行していた暦で遅くとも16世紀中頃には発行されていたが、後に伊勢暦にとってかわられる[3]
  • 伊勢暦(いせごよみ)
    • 1632年より発行され江戸時代には全国各地に配布された。
    • この暦には吉凶凡例、日ごとの節季や農事に関する記述があり生活暦(せいかつれき)として重宝され、伊勢詣の土産にもなっていた。配布数も増加し享保年間(1716-1735)には毎年200万部が出版され、全国で配られた暦の約半数を占めていたともいわれている[4]
  • 江戸暦(えどごよみ)
    • 江戸の人口増大に伴って、17世紀中期から刊行され、1697年には11名からなる仲間組織が結成された。

1871年(明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い、全国の暦師をまとめた頒暦商社が組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶の記載が除かれ、明治末には旧暦の記載も無くなったため、それらを記載した非合法のお化け暦(おばけごよみ)が出回った。

1883年には本暦(官暦)の発行は神宮司庁の管轄となり神宮暦(じんぐうれき)と呼ばれた。

1903年に日めくりカレンダーの製造が始まる。

1946年には暦の専売制が廃され、発行が自由化された。

各月の別名

本来は旧暦による月の別名であるため、そのまま新暦に適用すると季節感が合わなくなることがある。十二月の別名「師走」は、年末の慌ただしい様子を表す月名として、現在でもよく使われている。

国民の祝日

国民の祝日1948年施行の国民の祝日に関する法律(祝日法)で規定している。

春分の日秋分の日の日付は、前年2月1日の官報で発表される。

休日

  • 祝日法では「国民の祝日」は、休日とすることが定められている。
  • (1973年〜2006年)国民の祝日日曜日にあたるときは、その翌日が休日となる。いわゆる振替休日である。
  • (2007年〜)国民の祝日日曜日に当たるときは、その後に迎える最初の「国民の祝日でない日」が休日となる(前項と同様にこれもいわゆる振替休日である。ゴールデンウィークなど祝日が2日以上連続する場合が出現したことによる法改正)。
  • (1988年〜)前日と翌日が国民の祝日の場合(つまり国民の祝日が2日違い)、当日が国民の祝日でない日は休日となる。いわゆる国民の休日である。この規定が適用されるのは当初は5月4日のみだったが、2003年祝日法の改正施行により、年によっては敬老の日秋分の日が2日違いとなる場合があり、それらの中間日にも適用されることとなった(5月4日は2007年の祝日法の改正施行により国民の祝日となったため適用外となった)。
  • 日曜日を休日と定めた、効力が及ぶ範囲を限定しない法律は存在しない(裁判所の休日に関する法律や各地方公共団体が制定する職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例、銀行法[注 6] などのような、効力が及ぶ範囲を限定する法令には日曜日を休日と定めたものは存在する)。

二十四節気、雑節

詳しくは二十四節気を参照。

中元を除いて、日付は年により前後する。

節句

暦の節目は節句となっている。

六曜(六輝)

詳細は「六曜」を参照

その他

  • 12月3日は「カレンダーの日」
    • 1872年(明治5年)の12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする新暦採用に因る[5]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ グレゴリオ暦の導入にあたり、旧暦の明治5年12月2日の翌日を、新暦の明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
  2. ^ 「正朔を奉ずる」という言葉があるが、「正」は年の初め、「朔」は月の初め(ついたち)のことで、最高権力者(本来は中国の皇帝)が定めた暦に従うという意味であり、暦の政治性を表した語と言える。
  3. ^ 三島暦で現存する最古のものは15世紀初めのものである。
  4. ^ 常用漢字表の別表「しはすとも言う」の記述がある。
  5. ^ 令和改元が2019年5月1日であるため、2020年からになる。
  6. ^ 第15条:銀行の休日は、日曜日その他政令で定める日に限る。

出典

  1. ^ kotobank-世界大百科事典 「京暦」
  2. ^ 「三島暦と河合家」
  3. ^ kotobank-世界大百科事典 「丹生暦」
  4. ^ 三重県環境生活部文化振興課県史編さんグループ 「全国に広まった伊勢暦」
  5. ^ 全国団扇扇子カレンダー協議会 「カレンダーの歴史」

関連項目

外部リンク

  • 国立天文台 暦wiki 日本の暦
  • 国立国会図書館:日本の暦
  • 大学病院医療情報ネットワーク(UMIN)センター 和暦・西暦・年齢対照表
  • 新暦と旧暦を対照できる資料を調べる | 調べ方案内 | 国立国会図書館
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