儀鳳暦

儀鳳暦(ぎほうれき)は、中国暦の一つで、中国天文学者の李淳風(中国語)が編纂した太陰太陽暦暦法である。

唐での元々の名称は麟徳暦(中国語)(りんとくれき)であるが、日本においては儀鳳暦と呼ばれ、飛鳥時代から奈良時代にかけて使用された(後節)。

定朔法を用いており、優れた暦法とされる。尚この暦において初めて進朔が採用された。

唐の麟徳暦は、麟徳2年(665年)から開元16年(728年)までの73年間用いられた。

和暦として

唐の儀鳳年間(天武天皇5年(676年) - 天武天皇8年(679年))に日本に伝わり、儀鳳暦と呼ばれた。ただし、唐からの直輸入であれば、唐が採用していた麟徳暦という名称を用いている筈であり、実際にはこの直前の文武王14年(674年)に採用されたとされている新羅を経由して伝来したという説もある(なお、平安時代に作成された『日本国見在書目録』では、麟徳暦と儀鳳暦が別の暦として認識されて別個に項目が立てられている)。

儀鳳暦は持統天皇4年(690年)から元嘉暦との並用を始めた(『日本書紀』持統4年11月甲申条)。ただし、当初は日食計算などに主として用いられ、『日本書紀』の期日も元嘉暦であったとされている(文武天皇の即位期日(八月朔日=8月1日)の干支を『日本書紀』は元嘉暦、『続日本紀』は儀鳳暦で表記しているためにあたかも2説あるようにも見えるが、実際には同日であった)。

5年後の文武天皇元年(697年)から儀鳳暦が単独で用いられるようになった(ただし、前年の持統天皇10年説・翌年の文武天皇2年説もある)。ただし、新暦の特徴の1つであった進朔は行われなかったとされている。その後67年間使用されて、天平宝字8年(764年)に大衍暦に改暦された。

参考文献

  • 細井浩志『古代の天文異変と史書』(吉川弘文館、2007年)ISBN 978-4-642-02462-4


中国暦麟徳2年(665年)-開元16年(728年))
紀元前→後漢 古六暦
?-?
顓頊暦
?-BC105
太初暦
BC104-4
三統暦
5-84
後漢→魏 四分暦
85-236
景初暦
237-444
魏→南朝 元嘉暦
445-509
大明暦
510-589
 
四分暦
222
乾象暦
223-280
北朝 景初暦
398-451
玄始暦
412-522
正光暦
523-565
興和暦
540-550
天保暦
551-577
天和暦
566-578
四分暦
221-263
 
北朝→隋 大象暦
579-583
開皇暦
584-596
大業暦
597-618
戊寅元暦
619-664
麟徳暦
665-728
大衍暦
729-761
五紀暦
762-783
正元暦
784-806
観象暦
807-821
宣明暦
822-892
 
唐→後周 崇玄暦
893-955
後周、北宋、南宋 欽天暦
956-963
応天暦
963-981
乾元暦
981-1001
儀天暦
1001-1023
崇天暦
1024-1065
明天暦
1065-1068
崇天暦
1068-1075
奉元暦
1075-1093
観天暦
1094-1102
占天暦
1103-1105
紀元暦
1106-1135
後晋、遼 調元暦
893-943?
961-993
大明暦
994-1125
 
南宋 統元暦
1136-1167
乾道暦
1168-1176
淳熙暦
1177-1190
会元暦
1191-1198
統天暦
1199-1207
開禧暦
1208-1251
淳祐暦
1252
会天暦
1253-1270
成天暦
1271-1276
元以降 重修大明暦
1182-1280
授時暦
1281-1644
時憲暦
1645-1911
グレゴリオ暦
1912-
大明暦
1137-1181
和暦文武天皇元年(697年)-天平宝字7年(763年))
  1. ^ 併用