村松有人

村松 有人
福岡ソフトバンクホークス 打撃コーチ #93
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県金沢市
生年月日 (1972-12-12) 1972年12月12日(51歳)
身長
体重
177 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 ドラフト6位
初出場 1992年8月11日
最終出場 2010年3月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ソフトバンクホークス (2014 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2004年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

オリンピック
男子 野球
2004 野球

村松 有人(むらまつ ありひと、1972年12月12日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手外野手)、コーチ。左投左打。

アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

経歴

プロ入り前

金沢市立小坂小学校を卒業、金沢市立鳴和中学校に進んだが、父の仕事の都合で敦賀市立松陵中学校に転校。卒業後、金沢に戻り星稜高等学校に進学。星稜高校では5番打者[1]。2学年下に松井秀喜がいた[1]。高校2年の1989年第71回全国高等学校野球選手権大会に出場し3回戦進出。高校3年の1990年第72回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、初戦の2回戦で敗退した。

1990年のドラフト会議では、福岡ダイエーホークスから6位指名を受け、入団した[1]

ダイエー時代

1991年はサリナス・スパーズに野球留学した。

1992年8月11日の西武ライオンズ戦で一軍初出場、翌8月12日の西武戦では石井丈裕からプロ初安打を記録した。39試合の出場で打率.188、1打点だった。

1993年8月6日の西武戦で初盗塁を記録。

1995年に規定打席未満ながら3割・32盗塁で1番打者に定着した。

1996年は完全にレギュラーを獲得し、108試合の出場で打率.293、38打点、58盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを獲得した。

1997年にも42盗塁を記録している。

2003年7月1日にはサイクル安打を達成した[注 1]。この年はダイハード打線の核弾頭として、打率.324(リーグ8位[2])、150安打、6本塁打と自己最高の打撃成績に加え、歴代5位タイとなる13三塁打を記録。規定打席に6年振りに到達した。盗塁王争いでも井口資仁との激しい競争をリードしていたが、8月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)で捕球を試みた際に右鎖骨を骨折して離脱。日本シリーズ(対阪神タイガース戦)には復帰して日本一に貢献した。

この年のオフにFA宣言し、オリックス・ブルーウェーブへ移籍。

オリックス時代

2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出される。この年は出場こそ108試合だったが大きく低迷するチームにおいてリーグ5位の打率.320[3]、3月28日の対福岡ダイエーホークス戦(福岡ドーム)で2点を追う4回二死満塁の打席で新垣渚から放った逆転満塁本塁打[4]を含む自己最多タイの6本塁打をマークした。この年のオフには大阪近鉄バファローズとの球団合併による選手分配ドラフトにより引き続きオリックスと契約[5]

2005年は118試合に出場し、打率.247、30打点と、打率が2割5分を下回り規定打席にも届かなかった。

2006年は126試合に出場して2年ぶりに規定打席に到達し、チームトップの打率.303(リーグ10位)と健闘した。

2007年も128試合に出場し、打率.289と下がったが前年より多い131安打を記録した。

2008年は春先こそ活躍したが、7月3日のソフトバンク戦で盗塁時に足を痛めて降格。8月19日に復帰したものの、不在の間に小瀬浩之が台頭したため出場機会を得られず、出場試合数が6年ぶりに100試合未満に終わった。10月31日、大村直之との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。5年ぶりの古巣への復帰となった。

ソフトバンク時代

2009年は開幕前に左足ふくらはぎを痛め出遅れたが、5月22日に一軍登録され、外野のスーパーサブ的な役割を担っていた。

2010年は開幕を一軍で迎えたが、3月22日の北海道日本ハムファイターズ戦に代打で起用されたのみで降格となった。以後は出場機会がなく、9月27日に現役引退を発表した。ファン感謝祭での引退挨拶においては、「自慢の脚力を活かして」と発言してスカウト活動を誓った。

引退後

2011年からはファン感謝祭での発言通り、ソフトバンクのスカウト(東海・北信越担当)を務めた[6]

2014年からは三軍外野守備走塁コーチとして現場に復帰[7]2017年から2023年までは一軍外野守備走塁コーチを務め[8]2024年からは一軍打撃コーチを務める[9]

2015年には、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表外野守備・走塁コーチを務めた[10]

選手としての特徴・人物

俊足巧打と広い守備範囲が持ち味の外野手[11][12]。現役時代を通して先発出場の際は主に1番打者を務めることが多かった[13]

引退会見で、チームが不振だった1996年に選手が乗ったバスに対してファンから生卵を投げつけられたこと(生卵事件)を涙ながらに思い起こし、「あの悔しさを野球人生にぶつけようと思ってやってきた。1999年の最初の優勝で(当時の)王監督を胴上げできたことが一番うれしかった」と振り返った[14]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1992 ダイエー 39 80 69 4 13 0 2 0 17 1 0 1 5 0 5 0 1 12 0 .188 .253 .246 .500
1993 13 32 28 3 5 0 2 0 9 3 1 1 1 0 3 0 0 6 0 .179 .258 .321 .579
1994 12 41 39 6 10 0 0 0 10 6 5 0 0 0 2 0 0 4 0 .256 .293 .256 .549
1995 95 369 328 57 101 11 3 0 118 13 32 17 11 0 29 0 1 36 3 .308 .366 .360 .726
1996 108 473 406 56 119 14 9 0 151 38 58 26 16 1 45 1 5 42 2 .293 .370 .372 .742
1997 131 551 477 59 115 15 4 0 138 29 42 23 12 1 58 2 3 56 5 .241 .327 .289 .616
1998 120 268 232 41 58 7 2 1 72 16 11 6 10 1 23 1 2 33 3 .250 .322 .310 .632
1999 110 272 234 21 57 7 2 0 68 15 13 6 19 1 17 1 1 37 2 .244 .296 .291 .587
2000 128 365 321 45 83 8 6 1 106 24 11 4 16 0 26 0 2 35 3 .259 .318 .330 .648
2001 121 261 242 34 60 3 6 0 75 18 14 2 2 1 15 1 1 28 4 .248 .293 .310 .603
2002 94 204 189 21 49 13 1 0 64 14 7 3 5 2 6 0 2 24 1 .259 .286 .339 .625
2003 109 510 463 85 150 29 13 6 223 57 32 10 5 4 35 0 3 67 5 .324 .372 .482 .854
2004 オリックス 108 503 459 70 147 29 1 6 196 51 11 6 5 1 35 1 3 87 12 .320 .371 .427 .799
2005 118 409 360 49 89 15 2 0 108 30 7 4 2 3 42 0 2 62 3 .247 .327 .300 .627
2006 126 439 400 52 121 11 4 3 149 28 13 8 16 1 21 1 1 42 4 .303 .338 .373 .711
2007 128 506 453 56 131 11 3 0 148 28 9 6 19 3 27 1 4 58 6 .289 .333 .327 .659
2008 83 263 234 28 62 7 5 1 82 16 4 1 6 1 20 0 2 32 4 .265 .327 .350 .677
2009 ソフトバンク 29 52 46 6 10 1 1 0 13 5 0 2 1 0 3 0 2 5 1 .217 .294 .283 .577
2010 1 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:19年 1673 5599 4981 693 1380 181 66 18 1747 393 270 126 151 20 412 9 35 666 58 .277 .335 .351 .686
  • 各年度の太字はリーグ最多
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績



外野












1992 ダイエー 37 60 0 0 0 1.000
1993 10 20 1 0 0 1.000
1994 12 25 0 2 0 .926
1995 90 185 1 1 0 .995
1996 105 211 10 5 1 .978
1997 129 285 9 1 2 .997
1998 115 145 6 1 3 .993
1999 104 158 4 2 2 .988
2000 122 175 6 2 2 .989
2001 112 163 3 1 0 .994
2002 87 112 3 2 1 .983
2003 109 196 4 2 1 .990
2004 オリックス 91 194 2 2 2 .990
2005 111 169 2 1 0 .994
2006 119 216 6 1 2 .996
2007 118 181 5 4 0 .979
2008 70 120 2 0 1 1.000
2009 ソフトバンク 23 18 0 2 0 .900
通算 1564 2633 64 29 17 .989

タイトル

  • 盗塁王:1回(1996年)

表彰

  • ベストナイン:1回(外野手部門:1996年)
  • ゴールデングラブ賞:2回(外野手部門:2003年、2004年)
  • 月間MVP:2回(1995年9月、1996年6月)
  • JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2003年6月)

記録

初記録
  • 初出場:1992年8月11日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏に中堅手で出場
  • 初先発出場:1992年8月12日、対西武ライオンズ14回戦(西武ライオンズ球場)、8番・中堅手で先発出場
  • 初安打:同上、8回表に石井丈裕から
  • 初打点:1992年9月13日、対近鉄バファローズ18回戦(藤井寺球場)、8回表に江坂政明から
  • 初盗塁:1993年8月6日、対西武ライオンズ15回戦(福岡ドーム)、8回裏に二盗(投手:横田久則、捕手:垣内哲也
  • 初本塁打:1998年4月12日、対近鉄バファローズ3回戦(大阪ドーム)、1回表に岡本晃から右越先頭打者本塁打 ※1566打席目の初本塁打はNPB史上2番目(当時は史上最高)に遅い記録[15]
節目の記録
その他の記録
  • サイクルヒット:2003年7月1日、対大阪近鉄バファローズ16回戦(大阪ドーム) ※史上57人目(稲葉篤紀も同日に達成。同日で複数人の達成は史上初。また、翌日の7月2日には桧山進次郎が達成)
  • オールスターゲーム出場:3回(1996年、2003年、2004年)

背番号

  • 63(1991年 - 1992年)
  • 23(1993年 - 2003年)
  • 3(2004年 - 2008年)
  • 35(2009年 - 2010年)
  • 93(2014年 - )

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ この日は稲葉篤紀(ヤクルト)もサイクル安打を達成している。同日に複数選手がサイクル安打を記録したのは史上初のこと。さらに翌日には桧山進次郎(阪神)もサイクル安打を達成し、2日間で3人の選手がサイクル安打を記録したこととなる。

出典

  1. ^ a b c 『日本プロ野球偉人伝 vol.14 2000→2005編』ベースボール・マガジン社、2014年、73頁。ISBN 978-4-583-62118-0。 
  2. ^ “年度別成績 2003年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2018年8月9日閲覧。
  3. ^ “年度別成績 2004年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月2日閲覧。
  4. ^ 「“恩返し” 村松が逆転満塁弾」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)3月29日付朝刊、23面(スポーツ面)。
  5. ^ 「統合球団 岩隈、ノリ、谷、村松 バラバラ選手複雑」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)11月9日付朝刊、18面(スポーツ面)。
  6. ^ “人事について”. 福岡ソフトバンクホークス (2010年11月8日). 2023年4月26日閲覧。
  7. ^ “2軍監督及びコーチ人事について”. 福岡ソフトバンクホークス (2013年10月28日). 2023年4月26日閲覧。
  8. ^ “2017年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2016年12月21日). 2023年4月26日閲覧。
  9. ^ “ソフトバンクのコーチ陣発表 計33人の豪華スタッフ…奈良原ヘッド、松山2軍監督”. Full-Count (2023年11月1日). 2023年11月2日閲覧。
  10. ^ “「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」コーチングスタッフについて”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. NPBエンタープライズ (2015年2月6日). 2023年4月26日閲覧。
  11. ^ “オリックス・強打者の獲得が多くMLB移籍者もダントツ/球団別平成移籍史 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年7月24日閲覧。
  12. ^ “村松有人|クラシックSTATS鑑賞 ダイエー079”. ライブドアニュース. 2023年7月24日閲覧。
  13. ^ “松井稼頭央、森本稀哲、西岡剛、渡辺直人…パ・リーグ6球団 2000年代「最強一番打者」は? | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年7月24日閲覧。
  14. ^ 村松が引退会見「王監督を胴上げできて嬉しかった」[リンク切れ]
  15. ^ ロッテ岡田 67年ぶり更新 不名誉だけど「自分らしい」スポーツニッポン2014年8月1日配信

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 村松有人 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
  • 93 村松 有人 選手名鑑2024 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
福岡ソフトバンクホークス 2024
 
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1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
パシフィック・リーグ ベストナイン(外野手)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1996年 パシフィック・リーグ ベストナイン
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
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  • 31 高木豊(守備・走塁)
  • 32 大野豊(投手)
投手
捕手
内野手
外野手
福岡ダイエーホークス - 1990年ドラフト指名選手
指名選手