順州

順州(じゅんしゅう)は、東アジアにかつて存在した

随州の順州

本節では、南北朝時代から隋代にかけて、現在の中国湖北省随州市北部に設置された順州について述べる。554年(廃帝3年)、西魏により冀州が順州と改称された[1]。州治は厲城県に置かれた。605年大業元年)、隋により順州は廃止されて、隋州に編入された[2]

朝陽の順州

本節では、唐代に現在の中国遼寧省朝陽市の南に設置された順州について述べる。

632年(貞観6年)、唐により順州が置かれ、営州の南の五柳城に州治が置かれた。742年(天宝元年)、順州は順義郡と改称された。758年(乾元元年)、順義郡は順州の称にもどされた。順州は河北道に属し、賓義県1県を管轄した[3]

習水の順州

本節では、唐代に現在の中国貴州省習水県一帯に設置された順州について述べる。 690年載初2年)、唐により順州が置かれた。順州は瀘州都督府に属し、曲水・順山・霊巌・来猿・龍池の5県を管轄した[4]。宋代には、順州は瀘州の羈縻州のひとつであった[5]

タインホアの順州

本節では、唐代に現在のベトナムタインホア省タインホア一帯に設置された順州について述べる。620年武徳3年)、唐により安順県に順州が置かれた。順州は安順・東河・建昌・辺河の4県を管轄した。622年(武徳5年)、順州は廃止されて、愛州に編入された[4]

順義の順州

本節では、唐代から元代にかけて、現在の北京市順義区一帯に設置された順州について述べる。唐により設置された帰順州を前身とする。唐末に帰順州は順州と改称された。五代後晋が建国されると、順州は燕雲十六州のひとつとして、に割譲された。遼の順州は南京析津府に属し、懐柔県1県を管轄した[6]1122年宣和4年)、金が遼から燕雲十六州を奪うと、盟約に従って北宋に順州を割譲した。宋の順州は燕山府路に属し、懐柔県1県を管轄した[7]靖康の変のさいに、金が北宋から順州を奪った。金の順州は中都路に属し、温陽密雲の2県を管轄した[8]。元のとき、順州の属県は廃され、順州は大都路に属した[9]1368年洪武元年)、により順州は廃止されて、順義県に降格された[10]

陸川の順州

本節では、唐代から宋初にかけて、現在の中国広西チワン族自治区陸川県一帯に設置された順州について述べる。773年大暦8年)、唐の容管経略使の王翃により禺州・羅州・弁州・白州が分割されて順州が置かれた。順州は龍化・温水・南河・龍豪の4県を管轄した[11]972年開宝5年)、北宋により順州は廃止された[7]

阜新の順州

本節では、遼代に現在の中国遼寧省阜新モンゴル族自治県一帯に設置された順州について述べる。順州は上京道に属した[12]

カオバンの順州

本節では、宋代に現在の中国広西チワン族自治区とベトナムカオバン省の国境地帯に設置された順州について述べる。1077年熙寧10年)、広源州が順州と改称された[13]

河南の順州

本節では、金代に現在の中国河南省洛陽市中西部に設置された順州について述べる。金が劉豫を傀儡皇帝として擁立すると、河南府が分割されて順州が立てられた。1151年(天徳3年)、順州は嵩州と改称された[14]

順川の順州

本節では、元代に現在の朝鮮平安南道順川市一帯に設置された順州について述べる。順州は東寧路に属した[15]

麗江の順州

本節では、元代から清代にかけて、現在の中国雲南省永勝県一帯に設置された順州について述べる。1278年(至元15年)、元により牛賧が順州と改められた。順州は麗江路軍民宣撫司に属した[16]1382年(洪武15年)、明により順州は北勝府に属した。ほどなく鶴慶軍民府に転属した[17]。清の康熙年間、順州は廃止されて、鶴慶州に編入された[18]

脚注

  1. ^ 周書』文帝紀下
  2. ^ 隋書』地理志下
  3. ^ 旧唐書』地理志二
  4. ^ a b 『旧唐書』地理志四
  5. ^ 宋史』地理志五
  6. ^ 遼史』地理志四
  7. ^ a b 『宋史』地理志六
  8. ^ 金史』地理志上
  9. ^ 元史』地理志一
  10. ^ 明史』地理志一
  11. ^ 新唐書』地理志七上
  12. ^ 『遼史』地理志一
  13. ^ 『宋史』神宗紀二
  14. ^ 『金史』地理志中
  15. ^ 『元史』地理志二
  16. ^ 『元史』地理志四
  17. ^ 『明史』地理志七
  18. ^ 清史稿』地理志二十一
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